現在、東京を舞台に開催されている東京芸術祭特別公演「ファンタスティック・サイト」では、パフォーミング・アーツのジャンルのひとつとして海外の評価も非常に高い日本発信のダンス「舞踏」や、その流れを汲むダンサーによるパフォーマンスや映像化を行っている。
今回、東京芸術祭総合ディレクターの宮城聰にインタビューを実施し、この企画に込めた思いを訊いた。そこには、過去から現在へと脈々と続く、さまざまな記憶の物語が散りばめられていた。
日本人は何を失い、何を獲得してきたのか
——本公演は、「ファンタスティック・サイト」を“前近代から近現代、または「江戸」から「東京」へ発展していった境目が垣間見える場所”と位置付けています。まずはその企画意図を教えてください。
宮城:「ファンタスティック・サイト」は“人々の視野を相対化する機会”を生み出したいという思いから企画しました。近ごろ、日本はもとよりアジアの人たちは、GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルの4社)に代表される欧米の企業や文化に慌てふためいてはいないか。特に文化的なアイデンティティを考えると、私たちは欧米化によって自分たちの大切な根っこを失ってしまった、だとか、もしくはその恐怖心から自分たちのオリジナリティをねつ造して欧米にしがみついているなど、あれこれ過剰に反応している。それは欧米との出会いによって、自分たちの国は何を失い何を獲得したのかを客観的に見られていないからだと思います。
しかし、よくよく考えると日本人は今から約150年前、1853年のペリー来航を期に一気に欧米の文化と直面し、その時の動揺や、そこから生じた世の中の変化はすでに体験済みなんですね。でも日本人はその経験をすっかりと忘れてしまい、当時と同じようにワタワタして平静さを失っている。そんな状況だからこそ、その時代に感じた動揺や変化をもう一度体験することによって、「今の日本人って慌てているよね」とか「そんなに慌てるなんて笑っちゃう」と、過剰に反応する自分たちを客観視できると思うんです。「ファンタスティック・サイト」はそういった視野を広げる機会にしたいと考えています。
——欧米など海外の流れに影響され過ぎた日本人が、もう一度日本を見つめ直す機会だというわけですね。本公演の会場が東京都庭園美術館をはじめ東京にフォーカスされていますが、その“日本を見つめ直す機能”と“東京”はどういった関係性があるのでしょうか?
宮城:東京って欧米との出会いによって近代化した境目の記憶を未だに土地に滲ませている場所が多い都市なんです。いちばん端的な例はお台場ですね。あの場所はそもそもアメリカに立ち向かうために砲台を作った場所でしたから。その当時の様子をそのまま残す場所って東京くらいではないでしょうか。欧米との出会いで受けた大きな動揺や、その感情を持ちながらも、「近代化せねばならぬ」という人々の熱量が生み出したポジティブな変化。その前近代と近現代の境目を感じられる場所に訪れると、人はその土地に残る記憶を再び体感することができるはずなんです。
身体に蓄積された“しぐさの記憶”
——「ファンタスティック・サイト」は東京を舞台に、さまざまな身体表現のパフォーマンスが行われます。そういった芸術がなぜ必要だったのでしょうか?
宮城:欧米との衝撃的な出会いを再び体験してもらいたい。そのためには、現在とその時代の繋がりを実感する、いわゆる“管のようなもの”が必要であり、それにはアートの力が必要だと思いました。では時代を繋ぐために適したアートは何なのか。そう考えるうちに肉体を使った表現方法が浮かんだのです。肉体が目の前にあれば、その人が90歳でも5歳でも、それはまさに現在そのもの。肉体ほどあからさまな現在はないだろうと。そこでピンときたのが「大駱駝艦」でした。
——大駱駝艦は1972年創設された日本を代表する舞踏家・麿 赤兒さんが主宰する舞踏カンパニーですよね。「天賦典式」という独自の様式を持ち、“この世に生まれ入ったことこそ大いなる才能とする”という精神のもと、忘れ去られた身振りや手振りを採集・構築することにより、数々の作品を創作されています。
宮城:大駱駝艦の舞踏はいわゆる振付師が作るものではなく、天が与えたもの。何百年、何千年と身体に蓄積された“しぐさの記憶”を見つけ、それをそのまま提示する表現なんです。僕なりの解釈で言えば、それまでのダンスは身体を使い物語を語っていたけれど、舞踏は身体という物語を語るもの。つまり舞踏は身体そのものが物語(ストーリー=ヒストリー)なんですね。そういう思想が1960年代末以後の欧米においては非常に新鮮に映り、近代以後のアジアで唯一世界中に広まった芸術ジャンルとして成立したのだと考えます。
一方で、舞踏に備わる“しぐさの記憶”は誰でも表現できるものではありません。舞踏の創始者・土方巽さん以降、第一人者の麿赤兒さんをはじめ、脈々と蓄積された舞踏の技法、あるいは思想が積み重なってこそ、その場に浮かび上がる。だからこそ舞踏を観る者は、今生きる目の前の肉体=舞踏家の身体をのぞき込むことによって、過去我々がどんな存在だったのかという、かつての人間のあり方のようなものにのめり込んでいけるわけです。そういった体の記憶をつなぐ舞踏の機能と、先ほどお話しした前近代と近現代の境目の記憶が残る土地の機能は極めて似ている。「ファンタスティック・サイト」はその機能を組み合わせて、かつて不安と期待に満ちあふれた時代に生きた日本人の眼差しを呼び覚ましたいと思っています。
カンフル剤となり、ダンス界に新しい風を持ち込む
——先ほど宮城さんは舞踏を「アジアで唯一、世界中に広まった芸術ジャンル」と話されましたが、一方で日本ではその評価がまだ低いように感じます。
宮城:たしかに僕もそう思います。舞踏は世界に定着するほど日本の文化史の中で貴重な芸術なのに、日本では十分に評価をされていません。それは舞踏という運動や思想がきちんと位置付けられていないからではないでしょうか。かつての目撃証言がエピソード的に語られることはあっても、「舞踏とはこういう運動で、こういう思想だ」と伝えるものがあまりに少ない。そういう気持ちも含め、「ファンタスティック・サイト」は舞踏という芸術ジャンルを再評価する機会にもしたいと考えています。
そういった意味で今回の公演は、土方巽さんや舞踏家の大野一雄さんたち舞踏の第一世代とも言える方々の思想を後世に受け継ぐ作業とも言えます。そして、その作業には、一見すると舞踏というジャンルとは違うと思われているけど、実は非常に舞踏の影響を受けている、あるいは思想を受け継いでいる人たちの表現に触れる機会も必要だと思いました。それにより舞踏がジャンルとして世界に定着した理由が分かるはずだと。それが「ファンタスティック・サイト」のもうひとつのプログラム「Undercurrents」となりました。
——「Undercurrents」は岩渕貞太さん、大橋可也&ダンサーズ、黒田育世さんによるフィルム&パフォーマンスですが、それが舞踏の第一世代とその思想を受け継ぐ世代を繋ぐような流れを作っていると。
宮城:その通りです。舞踏のかたちではなく精神、つまり表層よりも思想を捉えることができるプログラムになればと思っています。
——「ファンタスティック・サイト」は舞踏だけでなく、日本におけるパフォーミング・アーツの世界を見つめ直すきっかけにもなりそうですね。
宮城:それも期待するところですね。東京芸術祭の総合ディレクターやSPAC-静岡県舞台芸術センターの芸術総監督の立場で語ると、今の日本のダンスは本来あるべき存在感を持っていないように感じます。単純に元気がないんですね。僕はそれをどうにかしたいと思っていたんです。たとえばフランスの演劇祭やロンドンの演劇シーンは、全演目のうちダンスが約40〜50パーセントを占めますが、日本はそれとは比較にならないほど少ない。でもコロナ禍が収まれば日本に住む外国人はまた増えていくと思うから、自ずと日本でのダンス鑑賞の需要は増えてくるはずです。 またその文脈で言えば、日本人だって舞台芸術に触れたい場合は、まずは言葉抜きで楽しめるダンスを観てみようと思ってもよさそうなものなのに、唯一クラシックバレエが一定の顧客層を持っているとはいえ、ダンスの人気はまだまだ低く、とりわけコンテンポラリーなダンスは「どう見たらいいかわからない」とか言われてしまう。そんな状況だからこそ、「ファンタスティック・サイト」で人の体に蓄積してきた地層のような物語をうまく伝えることができれば、身体表現に興味が生まれ、その流れがひとつのカンフル剤となり、現在の東京、あるいは日本のコンテンポラリーなダンスの世界に新しい風や観客を持ち込めるのではと思っています。
——今回の公演だけにとどまらない思いが「ファンタスティック・サイト」には詰まっているのですね。では最後に本公演の楽しみ方を教えてください。
宮城:一般的に東京で企画をする場合は“東京に何があるか”ではなく、“東京で何をやるか”を重要視しがちです。でも、僕は常々、東京に住んでいる人が東京自体を面白がり、東京をもう一度愛せるような企画をやりたいと思っていました。先ほど、「ファンタスティック・サイト」は土地と身体を用いて東京に日本人の記憶を浮き上がらせる機会だと話しましたが、観客の皆さんにはその経験によってもう一度東京を見つめ直し、東京を面白がれる機会だと思っています。さまざまなプログラムを通して、「東京に生きた人たちはこんな経験をしていたんだ」とか「実は東京ってこんな場所だったんだ」と、今まで気付かなかった東京を発見し、東京をより面白がってもらえるとうれしいですね。
東京芸術祭特別公演「ファンタスティック・サイト」
https://tokyo-festival.jp/2020/fantastic-site/
取材・文:船寄洋之
撮影:喜多村みか