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【“見どころ解説”レクチャー】
木ノ下歌舞伎『三人吉三廓初買 』~〝キノカブ〟に初めて出会う方々のために
2024年の東京芸術祭では、国外から来訪の方や、英語、韓国語、中国語などを母語とする方々を対象としたツアー事業を実施いたします。
そのうちの一つ、“見どころ解説”レクチャー付き 観劇ツアーでは、ご観劇の前に、作品の内容やあらすじだけでなく、作品の背景やコンセプト、また東京芸術祭や東京芸術劇場などについて詳しく解説するレクチャーを行います。
解説資料を読めば、作品をもっと楽しめたり、観劇が楽しみになるかもしれません!
※このテキストは英語に翻訳されることと事前レクチャーで用いられることを前提に執筆されたものです。
木ノ下歌舞伎『三人吉三廓初買 』~〝キノカブ〟に初めて出会う方々のために
今作、『三人吉三廓初買』を上演する木ノ下歌舞伎(通称キノカブ)は2006年、京都で活動を開始した創作集団です。その活動指針は、「歴史的文脈を踏まえつつ、歌舞伎演目の現代における創作上の可能性を探求し、発信する」こと。主宰である木ノ下裕一は幼少時、上方落語を聞いて魅了されたことから広く日本の古典芸能に興味を持ち、大学では現代の舞台芸術も学びました。
木ノ下歌舞伎では外部から演出家や振付家、俳優を募り、木ノ下は創作全般の監修と、底本となる上演台本の選定に始まり、今回上演のためのテーマや解釈のもと、幅広く資料に当たって新たな上演台本を編集・執筆する作業=補綴(ほてつ、ほてい)を担います。上演前に時間をかけ、演出家のプランやアイデアも含めて上演台本を練り上げるこの作業があるからこそ、現代的かつ斬新な趣向・演出を加えられても、原作である歌舞伎の魅力が倍加こそすれ損なわれることがない。それがキノカブ独自の創作・表現を支える太い柱となっているのです。
今回上演される『三人吉三廓初買』は、江戸時代幕末から維新を経て明治半ばまで活動した、伝説的歌舞伎作家・河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)(1816年生まれ~1893年没)の戯曲。1860(安政7)年正月に江戸の市村座で初演されました。
キノカブでは、京都の国際舞台芸術祭KYOTO EXPERIMENT参加作品として2014年10月に初演。続けて2015年6月に東京芸術劇場の小劇場シアターウエストでの再演と、2020年5~6月に同劇場で上演予定だった新キャストでの再再演が感染症禍のためついえた困難を乗り越え、今回の再創造となりました。
演出の杉原邦生は主宰する上演団体KUNIOでの創作に並行し、初期キノカブのメンバーとしても活動。『勧進帳』や『東海道四谷怪談』など10作品を手掛けてきました。古典の核心をしっかりとつかみながら、ポップかつ批評性の高い視座で原作を読み直す鋭い感性は三度目の上演となる今回さらに研ぎ澄まされ、発揮されるにちがいありません。
同じ〝吉三郎〟の名を持つ和尚吉三、お坊吉三、お嬢吉三という三人の、それぞれの事情から悪事を生業とする若者たちが、運命に翻弄され破滅へと疾走するピカレスクロマンが作品の主筋。そこに現行の歌舞伎上演では割愛されている商人・文里と花魁・一重の恋と、キノカブ初演に際して154年ぶりに復活させた「地獄の場」も加えた、全幕でおよそ5時間という圧倒的かつ濃密な劇世界が舞台上に立ち上がります。
黙阿弥の戯曲と言えば、七五調(七音と五音の言葉を繰り返す韻文)を活かした音楽的で馴染みの良い流麗なせりふが大きな魅力。キノカブでは、現行上演時の歌舞伎俳優のせりふ回しを出演俳優が身に付ける〝完全コピー稽古〟が創作の初動にあり、そのうえで必要な部分のせりふを現代語化したり、現代語ながら歌舞伎の抑揚を活かすなど、新たな言葉のハーモニーとリズムを紡ぐべく、緻密にバランスを取りながらの構成が成されています。杉原は初演・再演では美術も手掛け、必要最低限の家具・道具を配する以外、劇世界を象徴する「言葉」をオブジェとして置くなど抽象空間を巧みに用い、自在に場を変転させました。さらに音楽、衣裳、ヘアメイクも和洋今昔混交の軽快さが、作品の推進力を加速させます。
黙阿弥が今作を書いた元号・安政の時代には、わずか7年ほどの間にイギリス、フランス、ロシア、オランダとの和親、通商条約が締結され、新時代へと大きく歩みを進めると同時に、安政2(1855)年の大地震、安政5(1858)年のコレラ大流行など、大きな天災に見舞われるという状況がありました。この時期、地震は国内全域で頻発しましたが、住宅が密集する江戸では類焼が起こり、死者は1万5千人を超えるとも。続くコレラの流行でも、死者は江戸だけで3~4万人に上ると言われています。
自然災害と大規模な感染症流行。160年超の時を超え、黙阿弥が見た江戸と現在の東京の様相に重なるところが大きく、そのことによって生きづらい想いを抱えながら惑う市井の人々の心情もまた、『三人吉三~』の世界観に重なると木ノ下は指摘しています。一見、主筋と関係ない閑話休題に見える「地獄の場」での、閻魔大王と死者とのコミカルな会話は、苛烈な天災を共に生き延びた人々=観客への、黙阿弥からの言祝ぎである、と。また演出・杉原も、二つの時代が舞台上で交錯する瞬間を「EDO」と「TOKYO」、二つの街の名をオブジェとして配し、初演・再演の舞台上に現出させました。
初演から10年を経た今回。時の移ろいは社会情勢を好転させることなく、疫病も天災も私たちの日常の近しい場所に留まったまま。さらにはいくつもの国と地域を巻き込む、大きな戦禍も終わりが見えず、閉塞感は増すばかりです。
けれど、大きく時代がうねり動くその瞬間でさえ、生まれて、生きて足掻き、死んでいく人の営みに変わりはなく、だからこそ、目に見えぬその奔流に抗うことで個人の命が一際輝く瞬間があることを、黙阿弥は描いたのではないでしょうか。そんな作者の心髄を抽出し、一層濃厚に舞台化することが木ノ下歌舞伎の真骨頂。世代もキャリアも様々ながら、日本の芸能の世界、その第一線で活躍する実力派俳優と共に生まれ直す今作。さらなる見どころは、観客お一人お一人が、本番の舞台の中にみつけていただけたらと願っています。
執筆
大堀久美子 OHORI KUMIKO
出版社に勤務後、フリーランスの編集者・ライターとなる。新聞や雑誌への寄稿、書籍の企画・編集・取材・執筆の他、演劇や映画のパンフレット編集・執筆も手掛ける。「尾上そら」の筆名で関連媒体への寄稿も行う。文化施設から劇集団、表現者などの別なく国内各地に足を運び、幅広く取材・執筆を行っている。