【“見どころ解説”レクチャー】
“何でもあり”で、笑いの中に真実をつたえるアート:コンドルズ

2024年の東京芸術祭では、国外から来訪の方や、英語、韓国語、中国語などを母語とする方々を対象としたツアー事業を実施いたします。
そのうちの一つ、“見どころ解説”レクチャー付き 観劇ツアーでは、ご観劇の前に、作品の内容やあらすじだけでなく、作品の背景やコンセプト、また東京芸術祭や東京芸術劇場などについて詳しく解説するレクチャーを行います。
解説資料を読めば、作品をもっと楽しめたり、観劇が楽しみになるかもしれません!
※このテキストは英語に翻訳されることと事前レクチャーで用いられることを前提に執筆されたものです。

“何でもあり”で、笑いの中に真実をつたえるアート:コンドルズ

 コンドルズはダンスカンパニーです。しかし、クラシックバレエやモダンダンスなどに馴染んだ方、日本の歌舞伎や能などをご存知の方でもコンドルズを見ると、間違いなく戸惑うでしょう。
 たとえば《沈黙の春》という作品。日本の夏を彩るセミの声が響くなか、なにもない床で蠢くものがあります。長髪、黒い衣服の石渕聡が、背中を床につけて仰向けになり、持ち上げた手足をゆるゆる動かしているのです。地面に落ちた、瀕死のセミにしか見えません。観客は思わず笑ってしまいます。

 別のシーン。石渕が上半身裸で脚を広げて立ち、力強く腕を真横に振り、バツを描き、縦に下ろします。そこに「底辺×高さ÷2」という文字がスライドで映されます。だれもが知る、三角形の求積公式です。最後の「2」はかわいくピースマーク。観客は大笑いです。
 コンドルズの舞台には、それ以外にも、「チャット G-PT」のような時事ネタコント、ピタゴラスイッチのような集団行動、人形劇、客いじり、また、コミカルなアニメ、映画予告編を装った小コントなどの映像も多様で、まったく予測がつきません。

 コンドルズはダンスカンパニーではなかったか、とお感じでしょう。安心してください。ダンスも登場します。ただ、ここでも期待は裏切られます。
 古参メンバー、古賀剛がタイツ姿で現れるとファンは大喜びです。モーツアルト《レクイエム》など、いかにもロマンティックな楽曲で、古賀が見せるのは大仰でヒロイックな動きです。たしかに古賀は、ベルギーを代表するカンパニーにも所属していた名ダンサーでした。しかし、熟年となったかれが、「わざとらしく」演じるその姿は、モダンバレエのコミカルなパロディーでしかありません。

 舞踊テクニックを徹底したバレエやモダンダンスとは対照的に、使える手段は “なんでもあり”で、たえず意表をつく展開に観客をまきこむ舞台、それがコンドルズなのです。
 そこにはバレエやモダンダンスにはない重大な要素があります。バレエは美しく、素敵で、超絶技巧を楽しめます。モダンバレエはカッコよく、時に強烈なメッセージをぶつけてきます。しかし、そこに笑いはまず、ありません。逆に、“なんでもあり”のコンドルズで一貫しているのが笑いです。
 しかし、するとコンドルズは、ただおかしいだけのコメディーショウなのでしょうか? 違います。

 冒頭のセミのシーン。笑いながら見るうち観客には、短い命を終えた昆虫の悲哀、黙々と手足を動かす男の滑稽が切々と迫ってきます。「おもしろうてやがてかなしき・・・」という芭蕉の俳句の世界です。

 コンドルズはメンバー構成自体が強烈な世界観をはらんでいます。バレエやモダンダンスのカンパニーは、通常、スマートな美人美女の集まりです。コンドルズには男性しかいません。服装も、「学ラン」という、日本の男子中高生の制服が使われます。逆に、見た目はさまざまです。ダンステクニックがいまひとつのメンバーもいます。それどころか、ダンサーには向いていない体型や年齢の人もいます。しかし、コンドルズでは、だれでもダンサーなのです。コンドルズが産声を上げたのは 1996 年ですが、かれらは 30 年近く前から「ダイヴァーシティ」を実践していたことになります。

 いわゆる「障がい者」とのボーダーも否定されます。コンドルズのリーダーである近藤良平は、障がい者だけのカンパニー「ハンドルズ」を主宰しています。ハンドルズとコンドルズが一緒に作品をつくると、手脚などを健常者とは別の仕方で使うひとびとならではの意外な味わいに驚かされるのです。たしかに、欧米などにも障がい者のダンスはありますが、そこでは、「健常者とおなじ」あるいは「それ以上」の演技が誇示されます。それはもちろん素晴らしい、しかし、これでは健常者基準の尺度は変わりません。コンドルズとハンドルズの場合、健常者だけでは生まれない、新たな価値が生まれます。一緒に作品を作るかれらを見るうち、観客には「健常
者/障がい者」という区別自体、無意味になってきます。みな、作品を一緒に作る仲間だからです。

このように「常識」の眼差しをやわらかく変えること、それこそがコンテンポラリーダンスの威力です。
 もちろん、通常のダンスもコンドルズの見どころです。近藤をはじめ、スズキ拓朗、香取直登、藤田善宏、黒須育海などすぐれたダンサーにコンドルズは事欠きません。まるでハードロック会場のように迫力のある音楽、照明とともに、スピーディーで力強いアンサンブルやデュエット、ソロが随所に挟み込まれます。しかも、ここでもダンス以外の展開が効いています。笑い転げていた観客は、ダンサーたちにまるで友人のような親しみを感じているからです。かれらのダンスは、家族が踊っているもののように観客に突き刺さるでしょう。

 とくに、コロナ期間中に発表された《One Vision》最後の群舞は感動的でした。QUEEN《We are the  Champion》の歌詞を確かめるようなダンスの動きによって、「みんながチャンピオンだ」というメッセージが伝わり、厳しい状況をともに戦う勇気が鼓舞されたのです。

 使える手段はすべて用い、笑いなど、観客の感情に働きかけ、やんわりと常識にゆさぶりをかける、コンドルズのようなスタイルを「コンテンポラリーダンス」とよびます。1980 年頃、ドイツのピナ・バウシュ、フランスのマギー・マラン、また、日本の、ダム・タイプ、勅使川原三郎などによって生まれ、その後 2000 年代には世界中に広まりました。日本は、コンテンポラリーダンス発祥の地の一つです。そのなかでも、先頭を走っているのがコンドルズなのです。

執筆

貫 成人 NUKI SHIGETO

専修大学文学部教授。芸術学関連学会連合会長。東京大学大学院卒。文学博士。単著『経験の構造:フッサール現象学の新しい全体像』(勁草書房 2003)、共著『バレエとダンスの歴史:欧米劇場舞踊史』(鈴木晶編著平凡社 2012)など。『ダンスマガジン』『照明家協会雑誌』などに舞踊評執筆。