「私がまだ戯曲の書き方を知らなかった頃」
『くらしチャレンジクラブ』レビュー(綾門優季)

Photo:金川晋吾

 くらしチャレンジクラブという名前の、クラブ活動について紹介したい。ある意味では「演劇部」と呼ぶことも出来るだろう。しかしそれは、演劇を上演するためのクラブ活動ではない。そこに、このクラブの特色がある。

 私の横には、赤いクレヨンで、あるいは緑のクレヨンで、色画用紙に、文字と絵の入り混じったものを、一心不乱に書きなぐっている幼稚園児がいる。幼稚園児が書きなぐっているものは何か。そう、何を隠そう、これは戯曲である。私がSpotifyで帰り道に聴いている、5秒にも満たない楽しげな音声は何か※1。そう、何を隠そう、これも戯曲である。豊島区立雑司が谷公園で暖かな日光に包まれながら親子の笑顔を見守るとき、ジュンク堂書店 池袋本店の片隅で100本に近い数の紙がばらまかれ「戯曲のつかみ取り大会(早い者勝ちで自分の読みたい戯曲をつかんで席に戻る)」に躍起になって挑んでいるとき、私は、知らず知らずのうちにつくりあげてしまっていた、戯曲を読むこと、書くことに対しての壁が、緩やかに崩れていく感覚に、痺れていた。

 私がまだ戯曲の書き方を知らなかった頃、先輩から渡された台本を覚えて、舞台に立って、覚えたままに話して、言われたとおり動くためにある文字、と思っていた。高校生だった。それは台本、と呼ばれていた。戯曲、と完全に同じ意味ではないことを後で知った。違いはよくわからなかった。セリフの意味もよくわからないまま、覚えなさい、と言われたので、ただただ覚えた。目の前の舞台のために台本があるから、舞台に立つこともなく、戯曲を読む人たちも、この世界に存在していることが、よくわからなかった。演劇部のクラブ活動が第一だった。くらしの中にクラブ活動があった。舞台の上演が第一だった。戯曲だけを意識することは、しばらくなかった。

 私はいま、神様の悪戯により、大学で戯曲を教える立場にいる。毎週、新鮮に驚く。戯曲を読めること、戯曲を書けることが、はじめから、授業の前提として存在していることに。無論、そんなはずはなかった。授業の中で、再確認する。戯曲なんて、読めないし、書けない。なんでこんなものを、誰でも書ける前提で授業が進むと考えられているのか、意味がわからない。意味が分からない言葉を90分も聞くと、少なからず、人間は寝る。大学生のとき、戯曲を読む授業で、なんとか意識を最後まで保てる日は、珍しかった。とにかく爆睡していたので、大学の思い出の中には、教室でみた、夢の記憶が混ざる。麻酔銃で首筋を撃たれたように、瞬時に爆睡した。逆になぜ、周りの生徒は爆睡していないのか、遠のいていく意識の中で、不思議に思いながら爆睡した。私はあのとき、私自身が勝手に設定した、「戯曲を読み、書くことのハードル」を飛び越えられずに、呆然と、立ち尽くしていたように思う。いまなら、よくわかる。そのような高いハードルは、幻に過ぎなかった。

 印象深い出来事があった。10月29日(日)ジュンク堂書店 池袋本店9階にて、各々のくらしに根ざした戯曲を音読したあと(ただし私が書いた戯曲は誰かのもとに、誰かが書いた戯曲は私のもとに届いている)感想を交換していたとき、ぶつかりおじさん、という言葉が、通じる派と通じない派にきっぱりとわかれた。ぶつかりおじさんを知らない方は「駅の構内で女性ばかりにわざとぶつかる男性のこと」と捉えていただければ良い。ちなみに私は、女性でもないのに、明らかに駅で故意にぶつかられたことのある、小柄な男性である。ぶつかりおじさんは池袋駅にも普通にいる、実際にぶつかられたこともある、という発言に、衝撃を受けていた方がいた。私はそのことに衝撃を受けた。ひとりは何気ないくらしのワンシーンをポロッと喋った程度のことだと考えている。ひとりは何度も通ってきた池袋駅にそのような不埒な輩がいることを全く気づかないまま今日まで生きてきた。ここまでお互いのくらしがみえていないことを可視化できたのは、各々のくらしを前提とした戯曲がそこにあって、今日出会ったばかりの人たちとディスカッションを重ねたからである。わかりやすい例のひとつとして挙げたが、他にも「そんなこと、本当にある?」「こんな道があったなんて知らなかった」など、くらしの発見の連続が絶え間なく訪れる時間が流れた。実際に街なかへと繰り出して、戯曲が書かれた場所を巡って回りたい気持ちが、段々と膨らんでいく。「書を捨てよ町へ出よう」ではなく「書を携えて町へ出よう」。池袋という土地への解像度が、ぐっと高くなる。いつもより少しだけ、帰り道に出会う人々の、私がまだ知ることのない、くらしの中身に思いを馳せる。いまここにいる全員が戯曲を書いて、音読したら、どんなに素晴らしい上演が立ち現れるだろうか。

 最後に、昨年度、無料配布された『くらしチャレンジ(大人とこどものための戯曲集)』4ページの言葉を引用して、締めくくりたい。これから戯曲を書き続けるひとりの劇作家として、いつでも、いつまでも、この視点を忘れないでいたい。

楽しみ方を発明する
戯曲の楽しみ方はまだまだほかにも。オリジナルの楽しみ方を発明しよう!
『くらしチャレンジ(大人とこどものための戯曲集)』より

  • 1くらしチャレンジラジオ#4 https://podcasters.spotify.com/pod/show/dailylifeplays/episodes/4-e29ubpo

綾門優季

1991年生まれ、富山県出身。劇作家。キュイ主宰。2013年、『止まらない子供たちが轢かれてゆく』で第1回せんだい短編戯曲賞大賞を受賞。2015年、『不眠普及』で第3回せんだい短編戯曲賞大賞を受賞。2019年、『蹂躙を蹂躙』で第10回せんがわ劇場演劇コンクールにて、劇作家賞を受賞。
2021年度より、日本大学芸術学部演劇学科非常勤講師。2023年度より、尚美学園大学芸術情報学部舞台表現学科非常勤講師。

くらしチャレンジクラブ公演情報

期間:
9月1日〜10月29日 ※一部プログラムを8月から実施
イベント開催日:
9/2(土) IKEBUKURO LIVING LOOP
9/24(日) 豊島区立雑司が谷公園
10/15(日) 東京芸術祭ひろば
10/29(日) ジュンク堂書店 池袋本店

くらし発、演劇あそびでもっとつながろう
豊島区のだれかのくらしをもとに書かれた短編戯曲集をつかって、大人からこどもまでが日々の生活のなかで小さな演劇を想像したり、見つけたり、実際にやってみたりして楽しむプロジェクト『くらしチャレンジ』。好評だった昨年を経て、今回は戯曲集の配布に加え、参加者それぞれがくらしから戯曲を書いてみる「クラブ」を各地で開催。ひとりひとりの物語が重なっていく戯曲体験を通して、まちのくらしを再発見しよう!