Performance View Lounge: A Conversation
居間 theater × 玄田有史
曖昧さをたずさえて展望をさぐる

10月21日〜29日に池袋のロサ会館R階のラウンジにて行われるパフォーマンス展望室。
展望室は、日替わりでやってくる展望学者とともに、いろんな視点からそれぞれの展望をあれやこれやと考える場所です。
プログラムのコンセプトを考えるにあたり、居間 theaterは相談役の玄田有史と雑談を重ね、展望という言葉、そして展望する行為について探ってきました。
「展望」とは一体何だろうか。「展望する」にはどうしたらいいのだろうか。
創作の経緯とともに、「展望」というキーワードをめぐって語り合いました。

(収録日:2023年8月24日)

  • (編集注)本稿で頻出する「希望学」について 希望学は2005年から東京大学社会科学研究所全所的プロジェクト研究として開始された、希望と社会の関係を考察するための学際的な研究領域です。2006年から岩手県釜石市での実地調査を行い、震災以後も継続、2009年からは福井県でも実地調査を行いました。 居間 theaterは、2020年、釜石でのイベントをきっかけに玄田有史らと接点を持ちました。今回のプログラムにおいては、希望学のアイデアや経験を玄田らから聞き参考にしつつ、展望というテーマに取り組んでいます。

展望をテーマにつくる

稲継:もともとはこのプログラムの中で「待合室 ※1」という作品をやろうとしていたんです。今の時代に改めて「待つ」ことを考えたいと。ただ会場の物理的な条件があり内容を検討していました。ロサ会館に実際行ってみると、エレベーターで上がっていく感じが面白くて。で、いざR階(屋上)に出ると、眺望が悪いわけではないけどいい見晴らしでもない部屋があった(笑)。地上から上がっていった場所に、どういう〇〇室があったら面白いだろうかと考えて、そこから展望室を思いつきました。わざと「室」(閉じた部屋)と言うことで、そこでしか話せないような話ができないかな、と。

※1 「パフォーマンス 待合室」。居間 theaterが2016年に制作した作品。雑司が谷駅(東京メトロ副都心線)直結のスペースを「待合室」に模し、「待つ」ことを体感しながら過ごす。

玄田:展望「学」ってなったのはどうして?

東:それはもう、玄田さんの希望学 ※2 からオマージュを…(笑)。もちろん、私たちはいわゆる大学のような学問をやろうとしているわけではないし、学術関係者でもないです。でも「展望」という曖昧な言葉で作品をつくろうとしても、どこから触っていいか分からなくて。そこでわざと「学」ってつけることによって、普段は学者ではない人たちでも、それぞれの立場から語れることがあるんじゃないかと考えました。

※2 冒頭の編集注を参照。希望学は玄田有史(労働経済学)・中村尚史(日本経済史・経営史)・宇野重規(政治学)らを中心に発足した。

山崎:今回、話す人たちを「展望学者」と呼んでいるんですが、発想の種は玄田さんが「学者って名乗るのは嫌いじゃない」と話していたことから来てますね。「一生学び続ける人」みたいな意味で、学者。

玄田:でもほとんどの大学の人は、学者はエラそうだから研究者の方が良いって言うね。僕はむしろ研究の方が、研(と)ぎ究(きわ)めなきゃいけない気がしてしんどいから、「学び屋」みたいな方が良いって思ってるんだけど。

東:人間っぽいですよね、学者って。役者みたいな。

東:玄田さんは希望学を始めるときにはどうやって人を集めたんですか。希望学に参加している先生たちって、そもそもの専門はバラバラじゃないですか。

玄田:「希望学っていうのをやるよ」っていう風に、ちょっと恥ずかしそうに......(笑)。

宮武:学問になるのがってことですか?

玄田:いや、名乗るってことが。

山崎:でも一応、自分から名乗り始めたんですよね?

玄田:まぁ一応ね(笑)

一同:(笑)

玄田:幸福学という分野はあるんだけど、他に人がやっているし、幸福はなんか年寄りくさいなって思った。で、「何でみんなが、希望がないって言うのか。希望があるとどんないいことがあるのか。ちょっとみんなで考えません?」って、ぼやーっとしたことを言っていたの。半分冗談だけど、でも大事なんじゃないか、という感じで話をしていたら、ちょこちょこ集まってきて。
 でもやっぱり一番の決め手は、釜石。過去に試練を経験した街 ※3 を色々と探していたら、たまたま釜石に行けることになった。そしたら、色んな人が「僕も、私も行きたいでーす!」って。口説いて行ったわけではなく、じわじわと。
 展望学者は、「展望学やりません?」って言うとどんな反応だった?

※3 釜石市は岩手県南東部に位置し、近代製鉄発祥の地として知られている。製鉄と漁業で栄え、人口最盛期は9万人を超えた。1896年、1933年に大津波を経験しているほか、太平洋戦争末期に二度の艦砲射撃を受けており、都度、復興してきた。2011年3月11日の東日本大震災では沿岸部を中心に甚大な被害を受けた。

宮武:まずは居間 theaterの繋がりのある人から先に声をかけているんですが、「そういうことを(ちょうど)考えたいと思ってた」、みたいな反応が結構あります。自分が日々やっていることに関して、他の人とも考えて話ができる場所があったらいいなと思っていた、という感じで集まってくださってますね。

曖昧さをたずさえて展望をさぐる

玄田:僕、1964年生まれなんだけど、その頃に未来学ってのが始まったんだって。小説家の小松左京とか、民俗学者の梅棹忠夫とか、当時の有名な人たちが「これからは未来だ!」って。とにかく明るい。64年頃って東京オリンピックもあって、高度成長の真っただ中。
 一方で希望学って、2000年代の「希望がない」ことから始まってるから、実は暗い(笑)。未来学と対照的で、スタートが結構しんどいというか。そもそも希望が必要かどうかもよくわかんないし、希望を持ったがために不幸になる人もきっといるし。煮え切らない態度でずっとやってきたのが正直なところ(笑)。

東:玄田さんが希望学を始めたのは2005年頃ですよね。私が学生の時(2010年頃)に言われてたのは、「良いことがあんまないよね」って。つまり希望がないってことなんですけど、でもデフォルトそんな感じなんじゃないかとも。Z世代とかはどういう感覚だろう。

玄田:先が見えないとか不透明とかは、ずっとそう言ってる気もするけど(笑)。なんとなく手に取りやすい目標があった時はあると思う。「クーラー買うぞ!カラーテレビ買うぞ!」とか、1960〜70年代のみんなが中流って言われた時代とか。そういう意味では目標のようなものはあったかもしれないけど、先が見えてた時代なんて、本当にあんのかね? 見えてりゃいいってわけでもないだろうし。
 むしろ希望は、見えない中でも何かみえてるとか、見えているようでみえてないから面白いとか、そんなところにあったりする。そういうのを、希望に必要な「曖昧さ(アンビバレンス)」って、言ってるんだけど。

宮武:その曖昧な感じは、展望の考え方に繋がっている気がします。はっきりしすぎている物事をあえてぼんやりさせたり、ぼんやりしていることを少しだけはっきりさせる。行ったり来たりするその曖昧な行為を「展望」と呼んでみようと、玄田さんと話す中で思っていきました。さらにそれを、自分のことだと展望学者のみなさんが共鳴してくれたんじゃないかなと。

玄田:自分のことだって思って受け止めてもらえるのは嬉しいよね。
 希望学もそれこそ曖昧さの共有をしながら、考えるヒントの言葉を探したりしてやっていた。希望学の場合には、「ウィーク・タイズ 」っていう言葉が(釜石の人たちに)すごく喜ばれて。「自分のモヤモヤはその言葉だ」「自分が今求めてるものはそれだ」って言われた時の、やっててよかった感はすごくあったね。
 その後で、釜石に震災が来た。 その時にね、釜石の人から「玄田さん、ウィーク・タイズ ※4っていう言葉を知ってます?」って逆に言われて(笑)! その人は震災を経験して、思いもよらずゆるやかな関係の中で手助けを得て、ふとその言葉を思い出して誰かに話したいってなったんだと思う。ある意味、学者冥利に尽きるよね。

※4 Weak Ties:「緩やかな絆」「弱いつながり」などと訳される。アメリカの社会学者 マーク・グラノヴェッターによって1970年代に提唱された。ウィーク・タイズの対義語として家族や恋人など、強い絆や関係をストロング・タイズ(Strong Ties)と呼ぶ。

一同:へぇ〜。

(2020年頃の釜石の海  撮影:居間 theater)

玄田:展望もそうなると面白いよね。展望が展望を呼んで、あなたの展望に。

宮武:今回、話す話題をハッシュタグ(#)で出しているんです。これは展望学者で出てくださる加藤甫さんがアイデアをくれたんですが、ハッシュタグで持ち寄られたキーワードから一緒に展望して、また誰かの展望につながればいいなっていう気持ちもあってそういう風にしてみました。

東:希望とか展望という言葉にアクセスする角度が、人それぞれで違うと思うんです。当たり前ですけど、持っている問題や各々の状況が違うから。「展望」という言葉があったら、子供や家族の問題を考えたい人もいれば、キャリアを考えたい人もいるし、AI技術と仕事の展望を考えたい人もいる。希望学もですが、ある言葉に色んな角度から人が集ってくるのは面白いなと感じて

展望学者とはなんだろう

稲継:今、展望学者候補に声をかけていっているんですが、まさに展望学者のイメージの人たちが揃ってきてるなって感じです。今ある立場や肩書きに甘んじていない人たちというか、ずっと能動的に学び続けているというか…。

玄田:なるほど。ちなみに希望学ではね、「これから必要なのは希望学です!」「生涯の研究にしたいので研究室に入れてください」っていう方も来たんだけど、逆にご遠慮したのよ。まず専門をやっていって、その中で少し別のことやりたいなって時に希望学をやったらどうですかって。じゃないとなんとなく根無し草になっちゃう。
 きっと、希望学者とそうじゃない人の線引きっていうのは、ないようであるんだよ。展望学者はどうなんだろう? 展望自体は誰にとっても必要なんだろうけど……。

東:ディレクターの長島確さんとも、展望学者ってどういう人だろうかという話をして。例えば、お客さんに対して「あなたの展望を教えてください」とか、「こういうことについて情報が欲しいので教えてください」みたいな態度だと、何の立場から聞かれているのかが分からないし、それこそ根無し草というか……。
 どこかにそれぞれの切実な経験とか、「この問題を考えずにはいられない」ことがきっと必要で。それについて、もちろん学術的じゃなくていいから、実地や経験で学んでいる人たちなんじゃないか、という話をしました。

稲継:ゲストの展望学者の人たちとも、1人の人間の中にある多様性みたいなものをどう語れるかと話してます。たとえば私だったら、「俳優の稲継です」とか「居間 theaterの稲継です」とか、往々にして現場によって分けて現れる。でも本来はそんな綺麗に分けられるわけじゃないから、その人としてそのままいるために、どう名乗ればいいかと考えた時に、展望学者って言っちゃおうと。1人の中にある多様性とか、それによる矛盾ってどんな人にもあると思うから、そういう人間同士として話したりコミュニケーションが起こる場所。展望室はそういうイメージでつくり始めてます。

展望とは未来か過去か、それとも

玄田:なんかね。未来学を知って思ったのは、強いんだよ。未来は分かるんだっていう強さと自信に満ちてる。希望学は反対に、強くない。なんとなく、弱いの。展望学がいいなと思うのは、どっちでもない気がするんだよ。
 しかも、ロサ会館という解放感とは全く反対の場所でやるという(笑)。スカイツリーとか東京タワーの展望台で展望学やるのとは違うと思うんだよ。スカイツリーの真ん中で展望学を語るって言われたら僕は行かないと思う。そこで展望を語りたい人は、僕の中では展望学者じゃなくて(笑)。

東:展望がわかってそうですもんね……。

玄田:そう。そういう人たちが語るのは、立派な話を聞けそうな気はするんだけど、なんか未来学っぽいというか。もう一回言うけどロサ会館だよ?(笑)。

山崎:今回お借りするR階のラウンジは、いい意味で曖昧というか。完全に閉塞的というわけではなく、見晴らしがすごくいいわけでもない。その中途半端さが、なんだかちょうどいい感じがしてきました。

玄田:展望って、未来を見ることだけじゃないかもしれないよね。今まで歩いてきた道や過去を展望するとか。そういう言い方があるのかは分からないけど。

(ロサ会館外観 撮影:居間 theater)

玄田:でも、ロサ会館でやったりすると「昭和レトロですね」って言われそうな気もするじゃない。

山崎:そう受け取られる気もしなくもないですけど、つくる上ではレトロにフォーカスする感じではない気がします。

玄田:そうかぁ。いや、最初に釜石に行った時にね、地元の人に「何で釜石にきたんですか」って聞かれてね。挫折とか這い上がることが希望には大事だと思ってるって言ってたんだけど。でも後々、「それは表向きで、本当は希望がなくなった地域がどれだけ悲惨かを研究して本にするのかなと思ってた」って、仲良くなってから言われたことがあった。

東:それはご本人たちが潜在的に、希望がなさそうって思ってるってことなんですか......?

玄田:その人がそうとは言わないけど、過去の栄光があるから。「昔は希望でいっぱいだったけど今は…」っていう風に誰かが言うと「あぁそうだよな」ってなりかねないというか。一生懸命頑張ってる人でも。
 だからロサでやることも、昭和は良かったよねとか、過去を振り返ることに繋がりやすいというか。

東:ロサも昭和の栄光が確かにありますよね。一方で、池袋の駅前再開発の情報とかを見ると、未来への強いベクトルを感じる気もして......。その両極端は、ロサならではなのかもしれません。

展望室的な「立ち止まり方」をさがす

(2020年頃の釜石の空 撮影:居間 theater)

玄田:僕のイメージかもしれないけど、展望はやっぱり「開放」のような気がする。展望の展は転がり、ひらいていくっていうことらしいし。(山とか展望台で)展望するとき、たとえば空を見ると無限にあるじゃない。

稲継:うん。展望室での経験も、開放というか、瞑想みたいな時間にできないかと話しています。ちょっと目を閉じて深呼吸すると頭がすっきりするみたいな感じ。ロサ会館のエレベーターで上って、言われるがままに展望室で過ごして、下るとなんかちょっと頭すっきりするとか。その日のコンディションによってはより混乱するとか。

玄田:稲継さんが言っていた、展望のためには前提として、「上る」行為があるっていうのは、なんか面白かった。希望では考えたことがなかった。どこか・なにかに上るっていうのは、ワクワク感もあるけど、ちょっとしんどかったり(エレベーターでは違うかもしんないけど)。そういう意味じゃ、展望って負荷をかけるよね。負荷をかけてしか見えないかもしれないものもあって。

山崎:それこそ、山とか上ってる最中は展望できない気がしますよね。ちょっと足を止めないと、上りながら展望するって難しい気がしました。

玄田:確かに。展望する時って、だいたいなぜだか足をいったん止めてる(!?)。

稲継:足を止める...そうですね。展望学者の皆さんと話していると、「はっきりさせすぎてることを、一回ぼんやりさせるための展望」という言葉に共感してくれることが多いんです。展望が持てないと言う一方で、実は見通しすぎて、勝手に絶望している事もあるのかな、と思っていて。
 だからピントを合わせてはっきりさせる展望もあれば、はっきりしすぎていることを一度ぼんやりさせる展望もできないかと考えています。今、興味があるのは、そういう展望室的な「立ち止まり方」を探すことなのかも。

(展望台にある双眼鏡 撮影:居間 theater)

東:あの〜、たまに展望台にパノラマ絵で、「何百Km先、アメリカ」みたいに書いてあるやつあるじゃないですか。あの絶対見えないのに見せようとするのが好きです。あっちがアメリカかぁ〜、だから何...? みたいな(笑)。そのラフさというか、見えなくさせていい、みたいなことを許容するというか。

玄田:展望って見えないんだなぁ(爆笑)。

山崎:見えたところで、「あぁ、こんなもんね」って。

玄田:展望っていう言葉に淡い好感を持つのは、そこなのかも。人生をはっきり見通したいというよりは、おそらく見えないんだろうし、上ったりするのもちょっとしんどいかもしれないけど、見えないなりに「こんなもんか」って、なぜかほっとしたり。

東:いったん立ち止まってね。

のぼり、たちどまり、ころがり、ひろがり

玄田:ちなみに、これに限らず、居間 theaterとしては何かを残したいみたいな感覚はあるの? 僕たちの仕事はどちらかというと、残すことに重きを置いている気がする。今は誰からも顧みられなくても、何か残しておけば将来、誰かが図書室で見つけてっていうことを、どこかで信じてやっているところがある。ある意味、居間theaterがやろうとしていることと対極なのかね。

稲継:どうだろう。もちろん作品で起きたことをアーカイブで残すのは大事だと思うんですけど、一方で、居間 theaterの活動はパフォーミングアーツと呼ばれる分野の延長でやっていると思うので、「体感する」ことがやっぱりすごく大事だと思っています。延べ何十人、何百人だけでも、実際にエレベーターに乗って来て、ある時間とか空間を過ごしてもらうことが重要だなと。

(ロサ会館エレベーター 撮影:居間 theater)

稲継:ただ、必ずしも体感している瞬間に「展望室、わかるわかる、全部わかるぞ!」となる必要はあんまりなくて。「わけわかんなかったな」とか、なんなら「ちょっと意味わかんなくてムカついた」っていう人もいるかもしれない。でも、もしかしたら何年か後、その人が展望という言葉と出会い直した時に、「そういえば展望室行ったなぁ」ってなったらいいなって。体験してくれた人の中に小さい引っかき傷をつくったり、時限爆弾を置いとくというか。その人が人生に持ち帰った時に、後々、誤解とかも含めてその人の中で何かの養分になったりできたらいいなって思っています。

玄田:そうかぁ。その話を聞いて、2009年に東大で希望学の本 ※5 を出した時のことを思い出した。村上龍さんが推薦の言葉を書いてくれたんだけど、そこで「希望の種を蒔く」っていう感じの言葉を使われていたの。今回、展望する種を蒔くかは分からないけど、展望ということを消費するだけじゃなくて、っていうことだよね。楽しかった! 綺麗だった!っていうのは消費だもんね。

稲継:そうですね。その時の自分にあまりにもヒットする作品って、グッと来てその場で花火が上がって終わっちゃう感じで、ちょっとだけ消費に近いような気がするんですよね。むしろ、人生で何回も思い出されたり、ことあるごとに参照する作品って、負の感情とかも含めて引っかかったものというか。そういう作品とか体験をつくれたら面白いなとは思います。

※5「希望学2 希望の再生」(東大社研・玄田有史・中村尚史 編/東京大学出版会/2009年)。村上龍氏の「推薦のことば」には、「かつて希望は、焼け跡にまかれた種子のようなものだった。多くの人がその果実を味わうことができた。今は違う。希望の芽を育むためには、個人と社会、それぞれの戦略が必要だ。(以下略)」とある。

(真ん中のピンクの建物がロサ会館 撮影:居間 theater)

(文:東 彩織)

パフォーマンス展望室

のぼって ひろげて 望んでみよう、展望室!

構成・演出:居間 theater
相談役:玄田有史

池袋を代表する総合レジャービル・ロサ会館の最上階に、期間限定の展望室がオープンします!
パフォーマンス展望室は、人や社会の〝展望〟を探る場所です。
池袋のまちを片目に眺めながら、それぞれに、またはともに過ごすことができる体験型作品となっています。
さまざまな目的で人々が滞在し行き交う繁華街。再開発に向かう池袋西口。
そんなまちを55年に渡り見守ってきたロサ会館の中に生まれる展望室に、どうぞお越しください。

日程・会場:
2023 年10月 21日(土)~ 29日(日)  ※休室日:10月23日(月)
平日 14:00~20:00 (最終受付 19:30)
土日 10:00~18:00 (最終受付 17:30)

料金:入場無料/予約不要(飲食物等の有料販売あり)

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