東京芸術祭 2022 直轄プログラム FTレーベル『セレモニー』劇評:鈴木励滋

佐々木文美たちの「セレモニー」が作品としてどうであったかといえば、少なくともわたしが足を運んだ10月8日11時の回はあまり上手くはいかなかったのではないかと思う。
この作品は大塚駅前で集合しマスジド大塚(モスク)に至るという、2019年に上演されたセノ派の「移動祝祭商店街」における佐々木の作品(大塚編)と逆のルートを巡った。かつての作品があまりにすばらしかったので、どうしてもそれと比べながら観てしまったのだが、何がどう違い、なぜそう感じたのだろうか。

セノ派は舞台美術家(セノグラファー)によるコレクティブで、フェスティバル/トーキョーのディレクターだった長島確が「劇場の中にある技術やアイデアを持っている人たちがまちへ出ていくとおもしろいんじゃないか」と舞台芸術家の杉山至に相談したのがきっかけだという。
上述の「移動祝祭商店街」は、池袋本町と大塚と南長崎の商店街で、それぞれの地域をリサーチしてつくった山車を使った作品だった。中でも大塚編の、街との混ざりこみ具合は圧巻であった。
彼女たちがつくった凱旋門みたいな山車(デザイン:安藤僚子)は、自動車も通り抜けられるほどの大きさで威圧感もありながら、空気で膨らませられている素材感や空に溶け込んでしまいそうなセルリアンブルーの色調や表面に記されたいろんな言語のかわいらしいフォントなどにより、絶妙に親しみが湧くやさしい巨人のようであった。そいつを観客たちや地域に住む人たちまでをも巻き込んで、マスジド大塚から大塚駅までなんとか力を合わせて連れていく。途中には細い路地があり、山車より低い鳥居をくぐって天祖神社を経由しなければならず、悪魔のしるしの「搬入プロジェクト」を思い出しながらわたしもミッションの遂行に加わった。バーバーマエの名物マスターと一緒に記念撮影をしたり、細い路地では上階の住民に応援されたり、神社にお参りしたりしながら、最後に電線や看板が密集したサンモール大塚商店街入口付近の難所に至る。さっき集ったばかりのわたしたちの息も合ってきたところで、これまた鳥居の形をした商店街のゲートを大塚駅側に突き抜けてお開きとなり、不思議な余韻の中でまた、一人ひとりがそれぞれの日常へ帰っていった。

フェスティバル/トーキョー19『移動祝祭商店街』みちゆき大塚エリア Photo:Alloposidae

その翌年翌々年と、新型コロナウイルスの影響で上演が困難になった中でも、佐々木たちは「顔ハメパネル」や「オンライン」の動画や「ラジオ」を駆使して商店街を寿ぎつづけたのだが、今年3年ぶりに誰もが参加できる開催となった。
「セレモニー」のために大塚駅前に集まった50名ほどの人たちは、佐々木の説明を聴く。当日パンフレットを読むと、どうやら「みんなで集合写真を撮る参加型パフォーマンス」ということであった。公演直前に佐々木は自身のツイッターで大塚のお薦めのお店を十数店も紹介していて、この街との深い関わりを感じられる愛のこもった紹介文に期待も高まっていた。
大塚駅前で手渡されたマップに記されたポイントで、幅10㎝くらいで長さが何十メートルもある蛍光オレンジのテープを用いて、ビルの上の方から地上とで大きな四角形をつくったり、路地に巡らされたテープのつくる四角をくぐったりした。最後にマスジド大塚の外で大きな四角をつくって参加者はそこに収まって集合写真を撮ったのだが、惜しむらくはいずれのポイントも参加者はほぼ客体として巡っていた。「祝祭商店街」に用意されていた数々の仕掛けのようなものに促されなくても、主体的に参加し観られるかなりの上級者向けの作品であったのではないか。バーバーマエのマスターに話しかけていた達人もいたが、ほとんどの参加者は街の人たちと言葉を交わすこともなかった。

上演の20日前に収録された座談会の中で佐々木は「集合写真の被写体は、カメラを見ることを通して、できあがった写真を見つめるだろう未来の人を見つめている。集合写真を撮る時、時空を越えたコミュニケーションが生まれているんじゃないかって」と述べている。
わたしは撮影される人たちを枠の外から眺めていた。もしかしたら、写真に収まることで、大塚駅までの帰り道に感慨が生じたかもしれないし、後日写真を受け取れば佐々木の言うような未来の誰かを想えたのかもしれない。だが、いずれにしてもかなり難度の高いミッションだったのではないかと感じた。
そのうえで、この手の企画の「成果」は果たして「作品」だけでよいのだろうか、ということに思いを巡らせている。

そこで、先に引用した首謀者たち(佐々木文美、大道寺梨乃、もてスリム、小森あや)のトークから、この企画がいかなる構想を膨らませていたのかを眺めてみたい。

今回、街を知っていく中で、大塚駅の南側が再開発されることを知りました。この街で集合写真を撮ることって、現在の大塚を記録するっていう意味にもなるんです。(大道寺)

街の建物と関わり、参加者自ら四角形をつくり、このフレームとともに集合写真に収まっていく。これを通じて、撮影される人たちは、フレームとフレームの「間」があることを体感することで、フレームを通じてそこに収まらなかったことを想像するきっかけが生まれるといい(佐々木)

「集合写真を撮るから来てください」っていうプロジェクトを行えば、違う世代の人、違う宗教の人など、いつも街で出会うことがない人たちが集まれるんじゃないか(佐々木)

 なんとも魅力的な構想ではないか。
さらに上演直後に「ステージナタリー」に寄せた佐々木のコメントも引用しよう。

この作品では、まちでの許容してくれる範囲をさぐってみたくて、他人の領域に交渉して入りこむプランで進行してみたら、思った以上に難航しました。途中から、「そりゃそうだよな。」と思ったものの、その交渉の過程で、まちの内部に、ちょっと触れたようなきがして、やめられませんでした。やってみて、わかったことは、許容できないって部分には、なにかしらのものがあるってこと。許容したくてもできなかった残念さは、お互いにあとを引きます。そういうところに結構強烈なストーリーや気持ちがありました。

 佐々木たちが3年前の「移動祝祭商店街」からさらに踏み込んで行こうとして、挫折した様子が垣間見える。

「移動祝祭商店街」では「領域のヨガ」と称してものの見事に人と人との垣根をほぐしてみせた佐々木文美たちならば、間違いなく構想にあったような作品をつくれたはずで、どうすれば実現させられたのか。それを探るためにも、なぜ彼女たちが強引な突破を試みず、断念したのかを考えてみたい。

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先のトークの中で佐々木は「コンセプトを決めて一直線に作品を作っていくほうが効率はいいけど、街が作品を作るための「道具」になってしまう気がして……」という躊躇いをもらしていた。時おり耳にする、アーティストが地域を借景とするにしても住民参加型の作品をつくるにしても、アートフェスなどの会期だけ「外」から人が押し寄せて、そこに住む人たちが消費される感を覚えるという「地域アート」の問題を想起した向きもあるだろう。
実は似たことが普段わたしの従事する福祉界隈でも起こっているために、わたしは「障害×アート」のことを佐々木の言葉から連想していた。
文化助成でも福祉の助成でもたいてい成果報告は必須で、パフォーミングアーツの絡む企画であれば、報告書とは別に作品発表も求められることが多い。この成果主義/作品主義と予算の単年度主義が絡み合い、結果として福祉とアートの関わり方が狭められているのではないかと感じている。たとえば、アーティストが障害福祉事業所の人たちと短期間集中型で制作する場合、アーティストとの関係を重ねたりそこで行われることに馴染んだりするのに時間を要する人は、そもそもその制作の機会に参加すらできない。それでも、突貫工事であろうがそれなりの作品はできるし、それなりの舞台で技量のあるスタッフが支えれば見栄えのよい発表にはなる。そこに最初から参加できていない人の存在はもちろん、「障害者」がアーティストの表現のパーツや添え物になっていても、観客の多くには気づかれることもなく相応の「成果」となるだろう。
わたしはそのような流れに抗いたくて、自らの職場では10年ほど前から隔月ペースでアーティストによる「かならずしも作品にしなくてもよい」ワークショップを続けてもらっている。現在3組のアーティスト(新井英夫、ミロコマチコ、アサダワタル)を迎えているので、毎月何かしらのワークショップを実施している。はじめは拒絶していても、日々をともにする人たちが興じている様を離れたところから気にしつつ、次第に距離を詰め、輪に加わるまで数年かかるという人もいる。長く続けることで、関係を積んでいけばこそ、すべての人に参加の可能性が開かれる。そんな人もいる福祉施設では、過程そのものを重視するワークショップを複数年にわたり実施するのが大切だと考えているので、昨年度わたしの活動する横浜市旭区にある障害福祉事業所6ヶ所に6組のアーティストをおつなぎした。(その様子に関しては報告書をご覧いただきたい)
その中の3ヶ所ではすでに今年度も継続していて、他所でも年度内に実施再開する予定である。ワークショップとは別に、山本卓卓(範宙遊泳)は「ほわほわ」のクリスマス会に娘さんと訪れ、岩井秀人(ハイバイ)は先ほど開催された「むくどりの家」の40周年イベントに参加するなど、企画者の意図を超えてそれぞれの関係が重ねられている。

また、埼玉の高齢者施設でも、今年の7月からユニークな試みが始まっている。旭区のワークショップ企画にも参加しているアサダワタルや白神ももこに加え、デザイナーの吉田幸平と吉田和古が東松山市の高齢者福祉施設「デイサービス楽らく」の利用者と交流する「クロスプレイ東松山」である。施設を運営する医療法人社団保順会と、アートマネジメントを専門とする一般社団法人ベンチの協働で実施されている。
特筆すべきは、施設にあらかじめ寝泊まりできる部屋が備えられていること、そしてそこで暮らしてくれるアーティストを募集したということ。いわゆるアーティスト・イン・レジデンスだが、「滞在型制作」というより「すごす」とか「交流」が主目的で、もちろん制作しても構わないが、成果発表なども求められていない。過程を目的としたワークショップとはまた違う、滞在し交流することで必ずや相互に生ずる何かがあると信じられる度量を感じる企画である。

ただ、これらは福祉とアートの関わりを模索する中での新しい潮流ではあるものの、「作品制作はもう古いからこのような企画へと更新されていくべきだ」と言いたいわけではない。更新というより層を重ねていくようなもので、東松山の試みでも、滞在しているアーティストと高齢者の関係が積み重なっていく先に作品ができるかもしれないし、交流が利用者さんたちの作品に結実するかもしれない。

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だから、単に作品にすることを批判しているのではない。
アーティストによる関わりで多様な変化が起きて、ワークショップを実施した場所の日常そのものが豊かになっていくという点が軽視されてはならないということを言っている。そこを省略して、短期間で効率的に見栄えのよい「成果」を求めることが、〈参加できない人たち〉や〈互いを消費する浅い関係〉の原因なのではないか。「福祉」でも「まちづくり」でも「商店街活性化」でも、それっぽいだけで掲げた名分にも資していない事業は「公共性」という観点でも極めて成果が低いと言わざるを得ない。
「作品」であってもなくても成果が出るような関係を築けるように「場」をしつらえて時間をかけて育てていけるように助成することこそ、これからの福祉や文化や地域振興といった行政の目指すべき道ではないのだろうか。
だからこそ、佐々木文美たちの大塚でのプロジェクトも、「作品」だけを評するので事足りない。

そもそもこの企画にこれほどうってつけな人たちはいないとわたしは思っている。
先の「首謀者トーク」の中で大道寺が「『わかったふり』をして、街に入り込もうとするのではなく、(自分が暮らす街とは)違う街であることを認識して一線をちゃんと引く」と語っていることからもわかるように、彼女たちはそこで暮らす人たちに敬意を払い、丁寧に関係を築く貴重なアーティスト/クリエイターである。
ランドスケープを専門とする石川初を招いた昨年の座談会で、劇場から街へ出ていくことで「時間が在るものに対峙しなくてはならない」と佐々木が畏怖を伴って語っていたのだが、それも街に対する敬意の表れだと思う。
その上で佐々木は「そもそも、私たちはまちづくりをしているわけではないし、街をよくするために大塚に足を運ぶわけじゃない。あくまでもいい作品をつくりたい、いい場をつくりたいという気持ちでやっています」とも言う。抽象的な「まち」ではなく人と人とが出会う「場」をつくることを志向し、「作品」をつくることは佐々木の中では「場」をつくることと同等に語られる。

他者に敬意を抱いているから、彼女たちは親しくなった人たちが語ってくれた強烈なストーリーを軽々には使えなかったのだろう。
「時間が在るもの」への畏敬の念を抱く彼女たちは、街の歴史が記録にも残らない市井の人々の営みの積み重ねであると知っている。だから、これから先おなじように積み重なっていくものとしてこの「日常」も、雑には扱えなかったのではないか。
さざまな差異を纏った他者たちが大塚という街に共にいることが当たり前だなんて浅慮はないから、力業で集結させるような強引な手も用いなかった。
それでも、彼女たちの深い敬意と畏れの先に、今回は断念した強烈な作品がたしかにあるはずだと思うと、それをつくらせないでよいのだろうか? となんとももどかしい。
丁寧に時間をすごす、そして行き交う人々との関係を重ねられるような場を、彼女たちならばきっと……そうだ、彼女たちは「おいしい水の湧く泉」だったじゃないか。
佐々木文美の師匠である鈴木志郎康がかつて、彼女や大道寺が参画する劇団「快快」に宛てて「ここはどこだ、快快だ、おいしい水が湧く泉」という詩を詠んでいた。詩人の慧眼はさすが、「ここ」つまり「場」として彼女たちの活動を捉えていた。

いっそあの山車を運ぶ祭りをつくって、これから100年続けてしまえばいいんじゃないか。それくらい強度のある作品だと思うし、続けていくうちに許してもらえた強烈なストーリーをその都度とり込みながら祭りを育てていけばよい。そのための場を彼女たちにつくらせてはもらえないだろうか。
参加する者は山車とともに街へ挨拶をして廻り、街の人たちの物語に耳を傾け、お薦めの店で食事をして、街の人・観客・観光客などいろいろな属性の人が同列につどい「セレモニー」みたいに写真を一緒に撮る。
再開発されるという風景も、写りこむわたしたちも100年後には跡形もないだろうが、その時たしかにともに居たことを証明する写真が、100年後の祭りに訪れた誰かに届きますようにとフレームに収まればいいじゃないか。

あの日、マスジド大塚の前で大きなフレームをつくってみんながそこに入った時、大道寺梨乃がこう言った。「この写真を見る未来の人たちに向かって、わたしたちもそっち見てるよっていうのを教えてあげてください」。各々が未来の人たちに向かって思い思いのサインを送ると、シャッターが切られた。

いつか必ずいなくなってしまうとしても、その人生を全うしようと思えるような祝祭が、居合わせた人々だけでなく、それを育んだ街にももたらされるなんていう、芸術のはかり知れない可能性がこの企画には潜んでいる。
芸術の公共性と作品の質とが互いを高めあうモデルが、大塚での佐々木文美たちの積み重ねの先には現れるはずだ。かくも真摯なアーティストたちが、街に魅せられ数年越しで関係を築いているなんてそうそうあることではない。だからこのまたとない機会を、どうか大切に扱ってもらえないかと切に願っているのである。

(文:鈴木励滋 写真:もてスリム)

集合写真型パフォーマンス『セレモニー』
期間:10月8日(土)11:00〜 / 16:00〜
場所:豊島区大塚駅周辺 受付場所:トランパル大塚
言語:日本語
料金:参加費:無料(予約優先)
プログラム詳細:https://tokyo-festival.jp/2022/program/ceremony

プロジェクトメンバー:小森あや(プロジェクトマネージャー)、佐々木文美(セノグラファー)、サリー★(プリンター)、大道寺梨乃(俳優)、もてスリム(編集者)、山口あまね(建築家)