野外劇『嵐が丘』小野寺修二×片桐はいり スペシャル対談【前編】

池袋に吹き荒れる英国荒野の風 そこに現れるのはただのラブストーリーではない




この数年で私たちは人間の無力さを否応なく味わった。自然とはかくも不条理で理不尽で人間の想像をはるかに超えたものだと思い知った。人によってはそれを呪い、苦々しく思う人もいれば、なにらかの自浄効果だと、さまざまに解釈する人がいるだろう。

2022年秋、東京芸術祭のメインプログラムであるGLOBAL RING THEATRE〈池袋西口公園野外劇場〉で開催の野外劇『嵐が丘』は、「一連の『自然』のあり方が『嵐が丘』の物語と重なる」と話すカンパニーデラシネラ主宰の小野寺修二さんが演出を務める。タッグを組むのは、10年来の親交がある役者片桐はいりさん。

脚本に頼らず稽古を重ねて筋書きを作る「小野寺劇場」と、池袋の街そのものが舞台装置となる「野外劇」はどのように融合し、展開していくのか。そして今、ここで『嵐が丘』を上演する意味とは。

小野寺さん、片桐さんおふたりの関係性を紐解きながら、プレ稽古を終えた今、そのあらましを伺った。


見えない拳で殴り合い、互いに信頼を築いてきたこの12年間




片桐:そもそも私、今年初舞台から 40周年なんです。このメモリアルな年なのに舞台がひとつもなくて、「うえーん」ってなってたところにこのお話(野外劇『嵐が丘』へのオファー)をいただいて。

小野寺:やった! でも、本当にすみません。40周年って本当に失念してた……。

片桐:いえいえ、打ち出してないんだから。


――片桐さん、40周年を迎えられたんですね。あらためておめでとうございます。おふたりの関係性が伺える一連のやりとりでしたが振り返ると、2010年上演の舞台『異邦人』以来、おふたりはこの12年間で幾度も共演、共同作業を重ねられてきました。

小野寺:そうですね。

――その度に、たとえば小野寺さんは片桐さんを「一番信頼している女優」として、片桐さんも小野寺さんとの関係について「面白いと思える頃合いのようなものの線引きを共有できる気がする」とお互いへの信頼が感じられるコメントを残されています。あらためて、それぞれの魅力について教えていただけますか。

小野寺:一言で言うのは難しいですけれども、片桐さんに対して勝手な憧れももちろんあるんです。それと長い間こうしてお付き合いさせてもらっている中で、自分がはいりさんとやりたいことが結局まだ全然かたちになっていないというか。(その実現に向けて)常に答えを出してもらうんだけれど、僕の成長とはいりさんの考えていることって、こう常に次に向かうためにとか、もっと違うところに行くために考える土台になっているというか。

片桐:あれじゃない、意見が完全に一致しないから。

小野寺:そうですね(笑)。だから実際、(演出家として、片桐さんのことを)使いやすいとかは全然ないんです。

片桐:こっちも「わかんないよ」とか「それやっても面白くないでしょ」っていうのがあるから。指示されたことを常に体現できるわけでもないし。きっと戦いなんじゃない?

小野寺:戦いと言うか……。いやでもそう意味では、ぶつかっては「いやいや違うんです、もっとこうなんです」みたいな議論ができたり、みんなの前でもああだこうだ喧嘩できたりっていう信頼感はめちゃめちゃあります。大先輩にこんなことを言うのも失礼ですけれども。


片桐:パーフェクトに小野寺さんの意図を理解できる演者の方はいらっしゃるだろうけど、私は全然できないから。しないし、できないし。

小野寺:僕もパーフェクトさが欲しいわけではないんだろうなあと思っていて。だから「もっと違うことがやりたい」ときに片桐さんが乗ってくれる距離感とか、お付き合いの仕方がすごく心地よく感じるんです。そうやってまた自分の勝手な野望とか無茶なことをやろうとするときに、はいりさんにすがっちゃうんですけれど。今回もそうですね。

――今のお話を拾って広げると、いわゆる「小野寺劇場」に登場する俳優陣は、稽古中に行われるワークショップにおける協働クリエイションを通じて筋書きのない、ひとつの舞台を作っていらっしゃいます。その過程において、片桐さんの存在は思いもよらないところへ導いてくれるということですか。

小野寺:他の人とは立ち位置が違うというか。片桐さんとの協働は、なにかいい意味でライフワーク的なところがあるんです。

――一方で、片桐さんにとっての小野寺さんの魅力はいかがですか。

片桐:もうそれは、私はもちろん最初はファンというか。小野寺さんが演出で、「演劇の神様」(笑)浅野和之さんが出演された『ある女の家(2008年)』を観て「うわー!」ってなって「面白かったですー!」みたいな。コンテンポラリーのトントン、キンキンしているようなものも好きだけれども、私が好きなのはちょっとそこにほんのりとした馬鹿馬鹿しさと言うか、うらっ返したところが入っているところ。そういうのに出会うと「きゅう」ってなります。小野寺さんの舞台にはそれが、ある。

――キメとヌケ感のフィーリングのようなものが合ったと。

片桐:そうですね。その感覚はものすごく小野寺さんと共有できているし。これはいつも言っていることなんですけれども最初、小野寺さんからオファー頂いた時に「あなたの力を借りて馬鹿馬鹿しくしたいんです」と言われて「それは私の仕事ですね」と思ったのでお引き受けしたんですよ。ダンスとかコンテンポラリーとかマイムと聞くと、一般的にはなにかちょっと高尚なものじゃないけれども、ちょっとお高く止まっていると言うか、なにかエンターテインメントじゃないものと認識してしまわれるようですから。だからそのまま「エンターテインメントしたいんです」とか言われたら、(オファーに対して)納得しなかったかもしれないですね。


舞台演劇の金字塔『嵐が丘』を今、「小野寺(野外)劇場」で




――あらためて、「世界三大悲劇」として知られるエミリー・ブロンテ作『嵐が丘』を今回なぜ取り上げられたのか理由を教えてください。

小野寺:歳をとるにつれてなのか、大きな意味で「自然とどう向き合うか」みたいなことに興味が出てきました。そんな折に今回の野外公演のお話をいただき、普段室内で活動する僕らキャストとともにお客さんが屋外の開放感だけではない、自然と向き合うことができたらいいかなと思ったのがはじまりです。その時点ではまだ題材がはっきりしていませんでしたが、ぼんやりと女性作家による作品で作りたいなと一生懸命(原作を)探していたんです。そのなかで野外公演でもあるし、『嵐が丘』というタイトルとの関連性に惹かれて読みはじめたら、恋愛劇でもあるし、復讐劇でもあるし。でも「そんな単純なことでもなさそうだ」「これはやってみるだけの価値がありそうだぞ」という気持ちもすごく強くなっていって。なんらかの手応えがあったことは確かです。

――「手応え」についてもう少し教えていただけますか。

小野寺:まさに、自分の考えていた「自然」とすごく近い気がしたんです。人の描き方が、言葉では表現しきれない、本能的に突き動かされる衝動を取り扱っているというか、常人の頭ひとつ越えちゃっているというか。キャサリン(『嵐が丘』における主要人物のひとり。強欲だが魅力的で、夫とかつての想い人の人生を散々翻弄した後にひとり先駆けて逝去)なんてまさにそう。僕、化け物って呼んでいるんですけど(笑)。よくよく考えてみると、物語って化け物が比較的よく登場するじゃないですか。ウルトラマンから始まって、咀嚼できない、もしくは理解できないものと対峙することってめちゃくちゃ多いですよね。もしかしたら『嵐が丘』はそういうことについてすごくよく書けているのだろうと。


――小野寺さんの考える「自然」にも通じる不条理なこの物語は、2022年、さまざまな自然災害に揉まれ続けた現代だからこそ公演する意義もあるのでしょうか。

小野寺:僕は必然があるなと思っています。今まで言及してきた自然や人を描くことに関して言えば、この不条理が蔓延している世の中で今、化け物と戦うってすごくリアリティがある。戦うというより、共存というか。一緒にいるってことだと思います。最終的に、この物語は家族の話になっていくので大きな意味でひとつの塊として転がっていきます。そういった意味でもいろんな解釈ができると思いますが、単純な恋愛ドラマとして捉えるとなにか足りない気がするし、かといって復讐劇だけというのも違う。さまざまなジャンルを越境した、いろんな要素を交えた可能性がある作品だと思います。

――なるほど。では、プレ稽古が始まった今まさにその捉え方や表現手法を模索されている最中なのでしょうか。

小野寺:そうですね。今ははいりさんやチームで話をしながらどうやって形にしていこうかと言う段階なので、「絶対にこうします」とは言えないんですけれども。直近のプレ稽古で手応えは掴んだように感じます。

――片桐さんからすると、『嵐が丘』という作品はどのような印象がありますか。

片桐:子供の頃、中学生とかですかね。読んですごくはまって、何回も読んでたんですよ。それでもう一度読み返してみたら、その頃のイメージとは全然違ってたっていう。当時は恋愛ドラマとして記憶していたけれども、なんか思春期の妄想を膨らませていた部分も大きいなと思いました。なんなら、これ家政婦の話(『嵐が丘』における物語の進行は、家政婦のネリーのひとり語りによる。しかし中立的な視点に立脚しているとは言えず、彼女の主観や嘘、伝聞などが多分に含まれるとされ長年、読者を混乱させてきた)のように思えてきて。小野寺さんに「私、家政婦の役ですか」って聞いたら「違います」って(笑)。


小野寺:すいません(笑)。でも確かに、人が語っている話なんですよ。だから、家政婦サイドから見た思い出話かもしれないし、無責任に捏造した話なのかもわからない。

片桐:そこが面白い。全部嘘なのかも。

小野寺:もしかすると誰かの妄想なのかもしれないし、登場人物は全て存在しないのかもしれないし。途中からもうひとり語り部が加わるから、構造的にはすごくよく練られているように思います。

――『嵐が丘』と言えばまさに恋愛劇として世界中で数多く上演されてきましたが、今回はそうではなく、物語の別側面に触れられる可能性を探られているのですね。

片桐:きっとみんな恋愛ものだと思って観に来ますよ。でも、違う。裏切られる。それがまた面白いじゃないですか。

小野寺:『嵐が丘』って一言で言うとなると恋愛小説の印象が強いと思うんだけど、登場人物の行動の動機を好き嫌いに当てはめても全然ピンと来なくて。もっと面白い感じがするんだけどなと思う。だからもう1回、はいりさんみたいに『嵐が丘』の原作も読んでもらって。また違う角度から物語を観られるのは、すごくいいことだなと思うんです。


【後編】につづく


(写真:増永彩子 取材:船寄洋之 文:小泉悠莉亜)

小野寺修二(おのでら・しゅうじ)
演出家。カンパニーデラシネラ主宰。日本マイム研究所にてマイムを学ぶ。1995年〜2006年パフォーマンスシアター水と油にて活動。その後文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として1年間フランスに滞在。帰国後カンパニーデラシネラを立ち上げる。マイムの動きをベースにした独自の演出で注目を集めている。主な演出作品として、現代能楽集Ⅸ『竹取』(2018年/シアタートラム他)、『国際共同制作 TOGE』(2021年/神奈川芸術劇場)、『ふしぎの国のアリス』(2017年、22年/新国立劇場他)など。また野外劇や学校巡回公演など、劇場内にとどまらないパフォーマンスにも積極的に取り組んでいる。音楽劇や演劇で振付も手がけ、第18回読売演劇大賞最優秀スタッフ賞を受賞。2015年度文化庁文化交流使。2021年NHK大河ドラマ『青天を衝け』にて、北大路欣也扮する徳川家康周辺の振付を担当。


片桐はいり(かたぎり・はいり)
俳優。1963年生まれ、東京都出身。大学在学中に映画館のもぎりのアルバイトをしながら、劇団で舞台デビュー。その後、CM、映画、テレビドラマと幅広く活躍。主な出演作品は『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』(2021年/作・演出:岡田利規)、『あの大鴉、さえも』(16年/作:竹内銃一郎 演出: 小野寺修二)、『キレイ~神様と待ち合わせした女』(05年/演出・脚本:松尾 スズキ)、『オイル』(03年/演出・脚本:野田秀樹)、舞台&映画『小野寺の弟、小野寺の姉』(13、14年)、映画『私をくいとめて』(20年)、『かもめ食堂』(06年)、ドラマ『ちむどんどん』(22年)、『あまちゃん』(13年)、『すいか』(03年)ほか多数。執筆も行っており、著書『わたしのマトカ』『グアテマラの弟』(幻冬舎)。映画愛に溢れたエッセイ『もぎりよ今夜も有難う』(キネマ旬報社)は、第82回キネマ旬報ベスト・テン読者賞を受賞。


野外劇『嵐が丘』

作:エミリー・ブロンテ  演出:小野寺修二
訳:小野寺健「嵐が丘(上)(下)」/光文社古典新訳文庫
出 演:王下貴司、久保佳絵、斉藤 悠、崎山莉奈、菅波琴音、竹内 蓮、丹野武蔵
鄭 亜美、辻田 暁、富岡晃一郎、中村早香、西山斗真、塙 睦美、宮下今日子
片桐はいり

期間:10月17日(月)〜26日(水) ※10月24日(月)休演
場所:GLOBAL RING THEATRE(池袋西口公園野外劇場)
チケット発売日 9月10日(土)午前10:00〜
料金:全席自由席(税込)・ファーストエリア 500円・エンドエリア 100円

プログラム詳細:https://tokyo-festival.jp/2022/program/arashigaoka