OPEN FARM
(Process Report)
東京芸術祭ファーム<ダイアローグ・プラス>レポート
作品と、他者と出会いながら、「自分」を発見していく時間
「ダイアローグ・プラス」は、アーティストや参加者同士の対話を通じて、舞台芸術への理解を深める学生向けのワークショップだ。今年で3回目を迎えるが、今回はリピーターを含めた8名が参加。11月6日(土)に最終回を迎えたダイアローグ・プラスの概要と、まとめの会の模様をレポートする。
(取材・文:小山由絵)
演劇と縁遠い学生にもひらかれた対話の場
東京芸術祭ファームの数あるプログラムのなかでも、もっとも広く門戸を開いているのがダイアローグ・プラスだ。参加条件は学生であること、原則すべてのプログラムに参加できること、の2つのみ。実際、今回の参加者の参加理由を聞いてみても「話したい!」「ただ観て終わるのではなくて、交流する場がほしい」といったものが目立った。
ダイアローグ・プラスが目指しているのは、対話(ダイアローグ)を通して自身の価値観に気づくことにある。作品を観る、参加者同士で対話をする、アーティストと対話をする、その一連の流れを複数回繰り返すことによって、学生たちは自分では気づいていない自身のものの見方や、他者とは違う自分自身に出会っていく。
今年のダイアローグ・プラスは約1カ月間をかけて、下記のような流れで進められた。
―キックオフミーティング
―From the Farm『フレ フレ Ostrich!! Hayupang Die-Bow-Ken!』オンライン視聴
―アーティストとの対話
―ロロ『Every Body feat. フランケンシュタイン』観劇
―アーティストとの対話
―スコティッシュ・ダンス・シアター『The Life and Times』視聴
―アーティストとの対話
―まとめの会
プログラムを通じて、なにより重視されるのは対話である。「正解不正解があるわけではないので、何を言ってもいい」といった7つの対話のルールがファシリテーターの中尾根美沙子(青山学院大学社会情報学部プロジェクト准教授/ワークショップデザイナー育成プログラム プロデューサー)さんから提示され、そのルールのなかで参加者は、参加者同士の対話、アーティストとの対話を重ねていく。芸術祭スタッフによると、回を追うごとに他者の言葉を受け止め、自身の言葉で語る場が豊かに開かれていくのが非常に印象的だったそうだ。「アーティストとの対話」もまた、アーティストに答えを求める場ではない。作品を通して自身が何を感じ、何に気づいたかを語りあう、そんな参加者の姿にアーティスト側も触発される場となっていたという。とくに複数のアーティストが語った「いろいろな解釈があっていい」「答えはそれぞれの人の中にある」といった言葉は、深く参加者の心に届いていたようだ。
1カ月にわたるダイアローグ・プラスの「まとめの会」
最終日となるまとめの会は、秋日和の東京芸術劇場アトリエイーストで行われた。
【振り返りと対話】
ダイアローグ・プラスの1カ月を「テンショングラフ」として表現することから会は始まった。縦軸にテンション(感情)の高低を、横軸に各回を時系列にとったテンショングラフに、自身の感情が、初回から今日までどのように動いたかを折れ線グラフで書き込んでいく。
記入後は、各個人のテンショングラフを3、4人のグループで共有していくのだが、それぞれの折れ線グラフの形があまりにも違うことに一同驚いていた。「グラフの下がっているところは、作品が全然わからない自分に落ち込んだから」という人がいたかと思えば、「わからないけど、なんか楽しくてグラフは上がった」という参加者も。“わからない“というキーワードから、「おもしろいって何だろう」「作品はだれのものか」と対話を深めていく姿が印象的だった。
【グループ制作】
グループ制作として、ファシリテーターの中尾根さんから出されたお題は「経験を何らかの形にする」というもの。アウトプットの形も自分たちで決めてほしいこと、その後の対話のタネとなるものをつくってほしいことなどが伝えられた。
ひとつのグループは、ふせんに「わからない」というキーワードを書き出すところからスタート。そこから3人が思うがままに、「唯一の答えはない」「誤解から生まれる可能性」などと書き込んだふせんをA4用紙に貼っていった。どのようなアウトプットの形にするか意見が分かれたが、まずは対話の軌跡をアーカイブとして残しておこうということに。誰かが意見を押し通すことも、黙り込むこともなく、お互いがお互いの考え、発言を尊重しながらグループ制作の時間を進めていた。
もうひとつのグループも、ふせんに気になったポイントを次々と書き出していった。「他の人がどんな顔で観ているのか気になる」「視線の選択」「一方的に観る、撮ることの暴力性」……。その後、「同じものを見ているつもりでも、みんな見ているものは違うよね」という発言から、それぞれの視線をスマホで撮影して、映像作品にしてみようという案が浮上。次々と撮影に関するアイデアも飛び出し、「面白そう!」とワクワクした顔つきで撮影へと飛び出していった。
【対話型発表会】
発表会もまた、一方的な発表の場とならないのがダイアローグ・プラスだ。ひとつのグループが発表をしたあとには、発表者3、4人がそれぞれオーディエンスとして訪れた芸術祭スタッフ2、3名と小さなチームになり、さらに対話を重ねていく。まさに対話型の発表会が行われた。
「わからない」からスタートしたグループは発表にあたって、模造紙やA4、A3用紙などに、イラストやキーワードなどを書いたり、色とりどりの折り紙やふせんを貼ったりしたものを、所狭しと壁に貼り出した。そして「まずはじっくり見てください。そして感じたことを話してもらえますか」と切り出した。オーディエンスからは「色とりどりさから、わからなさ加減を感じた」「わからないことが心地よく感じた」などの感想が。その感想を受けて、「これは私たちがたどってきた対話のプロセスを提示したものです。何も言わずにこれを見た人たちがどう感じるのかという思考の実験をさせてもらいました」と話した。その後の小人数での対話では、「わからない」が同時多発。対話を通して「わからない」が増幅し、より深い対話のきっかけへとつながっていった。
屋外での撮影を行ったグループは、3本の映像を披露した。撮影場所はすべて駅から劇場までの道のり。同じ道のりの映像が、撮る人によってどう変わるのか。「ファストフード店、飲食店の営業時間の看板……という視線の流れで撮りました」と言葉で聞いた人が、同じ映像を撮ろうとするとどうなるか。撮影している人を、さらにその後ろから撮影することで、見るということの暴力性を表現できるか。実験的な意図をもってつくられた映像を、どの順番でどう見せるかというころまで練られたものだった。そして、とくに作品の解説をすることなく、発表を終えた。その後の小人数の対話では、「同じものを見ているはずなのに、こんなに違うなんて」「現代アートみたいですごく面白かった。でも咀嚼するのに時間がかかりそう」といった言葉も聞かれた。
東京芸術祭ファーム共同ディレクターの長島からは「2グループともまったく違う。1グループめは、混沌、カオスさが、ある意味でよくわかるアウトプット。“わからないフェチ”の私としては、わからないことがとてもおもしろい。2グループめは、クイックにつくっているのに、アイデアをきちんと伝えられるものに仕上がっていた。つくり手としても非常に考えさせられた」といった感想が伝えられた。
【振り返り~想いを形にする】
最後は円になって座り、一人ひとりに粘土が配られた。ファシリテーターの中尾根さんからは「この1カ月で感じたことをまず形にしてみよう。それから、できあがった形に言葉をあててみよう」というガイドが。ウイルスの形をつくり、「制約があるからこそ感じられたことがある」という言葉を添えた人もいれば、あえて形をつくらず「考えるためにこね続けています」という人もいるなど、誰一人、借り物の言葉を語る参加者はいなかった。
中尾根さんは「もやもやした形づくれない思いも、ありのまま伝えられる場、関係性ができあがっていた。もやもやはとても大事なもの。ひとつの“答え”ではなく、“問い”を持ち続けられる豊かな人生を送って」とエールで会を締めくくった。
小山由絵
青山学院大学社会情報学部特別研究員/ワークショップデザイナー育成プログラム事務局スタッフ/ライター。2003年よりフリーのライターに。15年に青山学院大学社会情報学部ワークショップデザイナー育成プログラムを修了後、同事務局スタッフとしても携わる。