『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』
観劇レポート
日本大学芸術学部演劇学科3年
市原拓馬
お恥ずかしながら初めて野外劇というものを観賞しました。実際には体感しました、という方が正しいのかもしれません。それほどパワーを受け取った舞台でした。今までは劇場という壁で囲まれた空間の中で役者の持つ熱量が反響する良さというものを感じていましたが、今回のこの『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』ではそのエネルギーが見ている人ひとりひとりに直接届いているように思えました。むしろ普段は演劇という世界と関わりのない、池袋をただ歩いている人達にまで向けられているものだったのかもしれません。そう思うと池袋の喧騒、消防車のサイレンをもどこか舞台セットというか演出の一部であるような気がして日常との対比をより感じました。野外ならではの面白さがありました。渋さ知らズによる音楽もただの効果音ではなかった。いわゆる非日常が味わえる劇空間となりえる場所は必ずしも劇場である必要はないのだと気が付かされました。このコロナ禍で舞台は閉ざされたものから外に広がったものへと変わってきているような気がします。千秋楽が終わり美術や照明がバラされたら文字通り「からっぽ」になりあの上には普段の日常が乗るわけで、それを思うとどこか寂しいような気がしますが逆に余韻が残りそこに演劇はあったんだ物語はあったんだとより実感できるのかもなと思いました。からっぽになったあとの日常までもが高度経済成長期を終えた日本の現代の形を映し出したエピローグとして捉えることもできるかもしれません。自粛を乗り越えてお客さんとして久しぶりに観劇した舞台だったこともあり改めて演劇がもつ力を見た気がします。ただこうして演劇に希望の光を見出している自分自身もカズオにみんなが期待していったようなものなのかもなと思ってしまいました。勝手にコロナウイルスに負けない演劇像を掲げてしまっていたのかもとどこか少し重なる部分があるのではと感じました。かといって期待をする人が全員悪人だとはいえなく無意識のうちに今の日本人がもつどこか心に穴がぽっかり空いてしまっているような、それを結果的に他人にもたれ掛かる形で埋めようとしている姿は刺さるものがありました。1988年に書かれた戯曲がどうしてこうも現代とリンクしているのかオリンピックを控えた今にこの戯曲を演劇学科卒業の先輩が出演している舞台で見れたこと、いろいろと考えさせられるものがありました。可能であれば44歳という若さで亡くなった如月小春さんが現代社会をみて何を感じるか聞いてみたいなと思いました。