憂さを忘れて、夢のような一瞬を——
大駱駝艦・麿赤兒インタビュー

東京芸術祭特別公演「ファンタスティック・サイト」では、5月21日(金)から23日(日)に、麿赤兒率いる大駱駝艦・天賦典式「Crazy Camel Garden(クレイジー・キャメル・ガーデン)」の上演を東京都庭園美術館の芝庭にて行う。

大駱駝艦のレパートリーのひとつである「Crazy Camel(クレイジー・キャメル)」の特別バージョンとなる本公演。国の重要文化財でもあり、旧宮家として建設された歴史的な土地でのパフォーマンスに挑む麿に、その見どころや意気込みを訊いた。

身体表現を用いて、東京ともう一度出会う

—―麿赤兒さんは「Crazy Camel Garden(クレイジー・キャメル・ガーデン)」をディレクションした東京芸術祭総合ディレクターの宮城聰さんと長い付き合いだと伺いました。

麿:以前、宮城さんのお芝居を演出したことがありましてね。もともと彼は一人芝居をやっていたんですけれど、変わったことをする人間で非常に珍しかったんです。彼は彼なりの演技に対するものすごいバックボーンがあって、僕はその“匂い”を感じました。それから言葉と身体の関係についても一人でコツコツと考えていて、言葉の根本を解体するような思想で生きていましたから、僕はそれがとても面白くてね。これまで彼とは舞踏についてもいろいろな話をしてきました。

当時は「聰くん」と呼んでいたけど、あれよあれよと活躍の場を広げられたので、もうそうとは呼べない(笑)。そういう経緯もあり、今回のことは彼との因縁のようなものを感じます。

—―そんな関係性があったのですね。今回の公演のオファーを受けた時、麿さんはどのように感じましたか。

麿:私や大駱駝艦がやってきたことへの理解もあり、推薦に値すると感じてくれたのだと思います。それは素直にうれしいことですね。ただ、最初は「ファンタスティック・サイト」の意図がちょっと分からなかったんですけどね(笑)。

—―宮城さんは「ファンタスティック・サイト」について、前近代から近現代へと向かった時代の狭間が存在し続ける東京を舞台に、身体のパフォーマンスによって、当時そのままの風景や感情をありありと浮かび上がらせたい、と話されていますよね。

麿:そうそう。宮城さんに「東京には東洋と西洋がぶつかってそれが残る街であり、それはたとえばお台場で……」と説明されて、踊りと関係ねえな、と思いながらしばらく話を聞いていたんですけども、だんだんと意図が分かりましてね。要は江戸から東京への発展が垣間見える場所で、身体表現を用いて、東京ともう一度出会うということだと理解しました。

東京は激しくぶつかり合うエネルギーの源

—―先ほど、麿さんが話されたように、「ファンタスティック・サイト」は東京ともう一度出会い、そして東京をもっと面白がる機会となります。麿さんは奈良県のご出身で、高校を卒業され大学進学を機に上京。それ以降は東京を拠点に活動されていますよね。

麿:そうです。東京に出てきた頃はあちこち歩きました。当時は自分のテリトリーにマーキングしてね。オシッコはしなかったけど(笑)。“東京文学散歩”なんて言って、特に文学者が歩いた道をなぞって歩きました。下町からビルがそびえ立つ街まで東京のあちこちを歩き回って、吉原はときめく場所だったというイメージがあったね(笑)。それは冗談として、それから60年ほど東京にいます。

—―それだけ長い時間を過ごされているのであれば、れっきとした“東京人”だと思うのですが、そういう意識はありますか。

麿:いやいや、長く暮らしているけれど決して「江戸っ子」とは言えないね。「俺は歌舞伎座の裏で生まれた」なんて言われたらガクッときてしまう。それは負けるわって。そういうコンプレックスはいまだにありますから。下町のお店に行くと、自分がちょっと異邦人のような気持ちになりますしね。

それこそ田舎出身者は落語みたいな“軽さ”がなかなかなくて、ジトッとしている部分があるんです。ビートたけしさんみたいに「おいらよ!」みたいな弾みのようなものはないから、どこか重いというか。それは人によるかもしれないけど、田舎者ってそういうのはありますよね。

—―では、麿さんにとって東京とはどんな街でしょうか。

麿:簡単に言えば田舎者の街ですよ。もちろん下町もあって、たとえば三代続く江戸っ子もいるけれど、近代以降は地方から人がどんどん東京に出てきて、そのエネルギーで成立しているような土地。言ってみれば、私も田舎者の一人であり、都市の形成者の一人のような位置づけですからね。

それは東京だけじゃなくて、パリもそうですよね。外国からどんどん人が集まってきて、いつの間にかフランス人になっている。そういうのはいろんな意味合いがあるけれど、それを活力として捉えれば、パリや東京は各地から集まった人たちによる文化交流や肉体摩擦、そういうものが激しくぶつかり合う一つのエネルギーの源だと思います。

—―麿さんは20代の頃に暗黒舞踏の創始者である土方巽さんをはじめ、東京でさまざまな表現者と出会い、混ざり合いながらご自身の表現を磨かれてきましたが、そういった表現者のエネルギーが東京に集まり、そしてぶつかり合うことで、新たな表現が生まれてきたわけですね。

麿:そうですね。僕は土方さんに出会わなければ今頃どうなってたのか分からないくらい。土方さんは秋田の田舎出身で、その100年前の風景をそのまま纏って来たような身体表現が当時の東京ではむしろ新鮮だったんです。僕はシティーボーイを狙っていたけれど(笑)、それになれないと気づいた頃に、土方さんと出会ってホッとしましたね。

土方さんはクラシックバレエの様な身体表現ではなく、田舎のがに股みたいな表現をバンと東京に持って来た。そういういろいろなコンプレックスも全部含めて「これだ」って表現が方法論になり、近代へのアンチテーゼとなった。それが世界的に認められたところはありますからね。

——なるほど。これまで国内外で数々の公演を成功させてきた麿さんは、東京と海外での表現の違いをどう感じられていますか。

麿:東京はいろいろな意味で多様だと感じることはあります。欧米ではメッセージ性に焦点を絞り、視野がグッと狭まってしまうところがあるけれど、私どもの表現を含め、日本や東京にはむしろそれから外れようという流れもあると思います。そうは言っても、もちろん核というものはありますけどね。

夢のような一瞬を楽しんでもらいたい

—―いよいよ始まる「Crazy Camel Garden(クレイジー・キャメル・ガーデン)」は、東京都庭園美術館の芝庭で行われます。ここは戦前にパリに遊学された朝香宮夫妻の邸宅として、当時最新の建築様式によって1933(昭和8)年に建造されました。近代西洋に憧れる日本人の思いを実現した、ある意味では西洋と東洋がぶつかり生まれた場所だと思いますが、麿さんはこの場所にどんな印象を持ちましたか。

麿:素晴らしいところですよ。公演をする上ではご近所への騒音や会場の電源などいろいろな問題は出てきますが、それを差し置いても素晴らしい場所ですね。借景というふうにはならないけれど、都会のど真ん中にありながらも自然を感じられる野外舞台なので、不思議な効果が出ると思うんです。19時から公演が始まり、どんどん空が闇に包まれていく。そういうイメージを考えると楽しいですね。

天気も自然現象だから当日はどうなるか分からない。でも雨が降れば雨の舞台の良さがあるでしょうし、お月さんも出てきたりしてね。舞台を観ながら夜空を見上げれば楽しいですから。そういう予期せぬ効果も含めて楽しんでいただきたいですね。

—―本公演は2012年にフランス・パリで初披露された「Crazy Camel(クレイジー・キャメル)」の特別プログラムとなりますね。

麿:はい。初演のパリではかなりエロチックな部分を強調しましたけど、日本ではそのままではちょっとできないから妥協案も出てきたり、それなりに表現をブラッシュアップして少しずつ変わってきた部分があります。ただ、「Crazy Camel(クレイジー・キャメル)」は思春期の少年少女の内面を映した作品であり、ヴィヴァルディの「四季」にのって、人生の四季を歌い上げようとするもの。その軸は変わっていません。

今回の特別公演は、春夏秋冬と単なる四季という意味もあるし、人生の四季——つまり赤ん坊から青少年へと成長し、青年になりそして老人になっていくというひとつの人生のサイクルを一時間にグッと凝縮したいと考えています。

さまざまな四季を舞踏仕立ての“金粉ショウ”で表現されるわけですね。

麿:「Crazy Camel(クレイジー・キャメル)」は言ってみれば京都にある三十三間堂の金の観音さま全てが踊り出したようなもの。最初、田舎なんかでは我々の舞台を観て、「仏様が出てきた」ってみんな拝んだりしたこともあってね(笑)。さすがに今はそういうのはないけれど、「きれいだな」とか「グロい」とかいろんな見方があるだろうし、聖と俗と言うのか、裏表と言うのかな。あらゆるもののめくるめく瞬間をスリリングに感じてもらえたらうれしいですね。

今回は東京都庭園美術館の芝庭という特別な雰囲気を楽しみつつ、世界的に大変な状況のなか、ほんの一瞬でも憂さを忘れて、まさにファンタスティックで夢のような一瞬を楽しんでいただけたらと思っています。

東京芸術祭特別公演「ファンタスティック・サイト」
大駱駝艦・天賦典式「Crazy Camel Garden」
https://tokyo-festival.jp/2020/fantastic-site/crazy-camel-garden/

取材・文:船寄洋之
撮影:鈴木 渉

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