東京芸術祭 2018

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    第4回 :舞台芸術が盛り上がると、東京はもっと生きやすくなる
    (東京芸術祭 直轄事業ディレクター 横山義志)

2018.10.25

【 コラムシリーズ 】プランニングチームの0場
第4回 :舞台芸術が盛り上がると、東京はもっと生きやすくなる
(東京芸術祭 直轄事業ディレクター 横山義志)

第4回は東京芸術祭 直轄事業ディレクターの横山義志ディレクター。横山ディレクターからの「はじめまして」のメッセージの他、東京に舞台芸術は必要か?/産業としての「舞台芸術の危機」/メディアの発達と「舞台芸術の危機」の深化/「贈り物」としての舞台芸術/新たな「縁」をつくる「無縁」の場としての劇場/双方向性と身体性/新たな共同体を創造する場としての劇場/都市の孤独とマスメディアの非対称性/舞台芸術の可能性 の9項目から、東京、日本の舞台芸術界に今起こっていることを語ってくださいました。

【コラムシリーズ "プランニングチームの0場" とは】
「0場(ぜろば)」とは、舞台の幕が上がる前の時間を表すことばです(舞台芸術では「幕(まく)」や「場(ば)」ということばを使って、場面の区切りを表します)。
さまざまな世界からの視点をお届けした昨年度の"トークシリーズ『0場』"につづき、東京芸術祭2018ではコラムシリーズ"プランニングチームの0場"をお届けします。宮城総合ディレクター&5つの事業のディレクターによって結成された東京芸術祭の「プランニングチーム」。8名のメンバーのコラムから、まだ誰も目にしていない"芸術祭"の奥深さをさがします。


 

舞台芸術が盛り上がると、東京はもっと生きやすくなる

 

・はじめまして

はじめまして。東京芸術祭プランニングチームメンバーで、直轄事業ディレクターの横山と申します。今年から本格的にはじまった「東京芸術祭直轄プログラム」というのを担当しています。10月18日から『野外劇 三文オペラ』の上演がはじまりましたが、他に今週末上演の『ガラスの動物園』『ダーク・サーカス』など、今年の直轄プログラムでは6演目をご紹介しています。多分これを読む方の多くは、私が何者かご存じないでしょうから、まずは自己紹介から。

東京との関わりでいえば、私は生まれも育ちも千葉市ですが、中学・高校・大学と10数年間、できたばかりの京葉線に乗って、千葉から東京に通っていました。なので少なくともその間は、起きている時間の大半を東京で過ごしていました。河合さんが書いている、東京の街を形成する「毎日、東京近郊から1時間以上かけて通勤・通学をしてくる人たち」の一人だったわけです。今これを読んでくださっている方のなかにも、きっと同じような生活を送っている方が少なくないでしょう。

2000年から2007年まではパリに留学していて、2007年からはSPAC-静岡県舞台芸術センターという劇場で働いています。SPACでは主に「ふじのくに⇄せかい演劇祭」を通じて海外のアーティストを紹介する仕事をしてきました。一方で、2013年から学習院大学で授業を持たせていただいています。なので、静岡に住んで十年ちょっとになり、週に一度は東京に来ている、といったところです。というわけで、今回は「はじめまして」の方、「お久しぶりです」の方にお目にかかるいい機会になればと思っています。

この東京芸術祭でお仕事をさせていただくにあたって、けっこう悩みました。本当に私でいいのか、とか、そもそも東京芸術祭って必要なのか、とか。いろいろ考えた末、今に至るわけですが、せっかくの機会なので、どうしてこの仕事をすることにしたのか、という話をしておこうと思います(長くなってしまってすみません・・・)。

私が今回東京芸術祭で働くことにしたのは、これまで東京の舞台芸術界に育てていただいた分、次の世代のための環境整備のお手伝いができれば、という気持ちがあったからです。すでに舞台芸術に触れたことがある人だけでなく、まだこれからの人たちのためにも。APAFディレクターの多田さんも、東京の舞台芸術界の空洞化について触れてくれていますが、東京が盛り上がらないと、日本にとっても世界にとっても、そしてもちろん東京にとっても、もったいないんじゃないかと思っています。もちろん自分一人で大したことができるとは思っていませんが、この仕事を通じてプランニングチームのみなさんや一緒に働いてくれている仲間たちと出会えたことも、すごく幸せなことだと思っています。

 

・東京に舞台芸術は必要か?

まあ私の話はともかくとして、まずは「東京に舞台芸術は必要か?」という話から。長島さんのコラムにもありましたが、「東京芸術祭」は舞台芸術以外のジャンルにも広がっていくのが理想です。でも、少なくとも今年のところは、主に舞台芸術のフェスティバルになっているので、ここでは舞台芸術の話をしていきます。

多田さんが「地方の創作環境が整ってきている」という話をなさっていますが、私も近年、舞台芸術の作品をつくるには大都市ではない方がいいんじゃないか、と思ってきていました。かつては東京のような大都市こそが舞台芸術を担ってきたのですが、今では、大都市というものが成り立っている理屈と、舞台芸術に求められているものとが、あんまりマッチしていないようなのです。でも、今改めて東京に目を向けてみると、だからこそ、もうちょっと東京の舞台芸術が盛り上がらないとヤバイんじゃないか、という気もしてきています。というのは、この「大都市というものが成り立っている理屈」が隅々にまで浸透してしまうと、生きづらい都市になっていくからです。

 

・産業としての「舞台芸術の危機」

「今では」というのは、たとえば150年前と今とでは、舞台芸術に求められるものが大きく異なっているからです。日本が「開国」し、「近代化」をはじめた150年前、劇場はまだマスメディアの一つで、日本においても西洋においても、市場経済のなかでの「商品」として、十分に成り立っていました。その頃にはまだ「数百人~数千人規模のお客さんに見せられる」ということが、比較的効率のよいメディアでありえたからです。でもそれから映画やラジオやテレビが発達して、舞台芸術を商業的に成り立たせるのは年々難しくなってきました。かつて舞台の上で行われていた「芸能」が、ライブでお客さんに見せることにこだわりつづけるもの(舞台芸術)とそうでないもの(映画・ラジオ・テレビ等々)とに分岐していった、と考えてもいいでしょう。

舞台芸術を産業として捉えてみると、今の時代においては、すごく効率のわるいものです。たとえば自動車であれば、技術の発展によって毎年数%ずつ生産効率が上がっていきます。でも舞台芸術ではなかなかそうはいきません。たとえば技術の発展によって毎年数%ずつ稽古時間を減らせるようになるとか、数%ずつ客席を増やせるというわけにはいきません。要は機械化できる部分が少ないのと、「顔が見える範囲」でしかできないのとで、他の多くの産業に比べると、やたらと「人件費」の割合が高いために、コスト削減がしにくいんですね。そうなると、毎年「効率化」してコストが下がっていく他の商品と比べて、年々相対的に高くなっていってしまう、ということになります

ただし、お金ではなく環境への負荷を基準にするのであれば、舞台芸術の「本当のコスト」は決して高くないともいえます。人が一日に消費するエネルギーは増える一方です。しかし舞台芸術は、人間の外部のエネルギーをほとんど消費することなく上演することができます。今後石油もウランもなくなったとしても、舞台芸術はなくならないでしょう。

つまり「生の人間をじっと見る」という体験を提供することは、とりわけ「今の」経済の仕組みには合わないことなのです。電気と機械に支えられた商品経済の仕組みのなかでは、舞台芸術というものは「贅沢品」になってしまいがちです。だから、この経済の仕組みが発展すればするほど、このような体験ができる人口は減っていきます。

もちろん、やたらと値段を上げてしまうと売れなくなってしまうので、なんとかコストを削減する必要があります。そうなると、「人件費」を減らすしかありません。舞台芸術業界の特殊性は「それでもやりたい人がいる」というところにあります。「安い給料でも、待遇が悪くても、どうしてもやりたい」「食えなくてもいいからやる」という人が、なぜか絶えないということ(だからなかなか待遇がよくならない、ということでもあります・・・)。今の舞台芸術業界は、「お金にならなくてもいいからつくりたい!届けたい!」という人たちの、ちょっと無理矢理ながんばりによって支えられています(まあある意味ではずいぶん前からそうですし、昔々からそうなのですが・・・)。20年ほど前から公共劇場が増えてきたことで、定期的な収入があるスタッフは増えましたが、それでも舞台芸術界の労働条件は他の職種に比べて依然として不安定で厳しいものがあります

ただ、一つ付け加えておくと、「ヤバイ」のは東京の舞台芸術界だけではありません。これまでの20年ほどで、南極以外の全ての大陸(といくつかの島々)の舞台芸術界を、少しずつのぞいてきました。大まかに言えば、世界中どこでも、舞台芸術というものはかなり危機的な状況にあります。むしろまだ滅びていないのが不思議なくらいです。日本よりもいい労働環境を作ることができている地域も少なからずありますが、総じていえば、世界中どこでも、舞台芸術というものは、それをどうしても必要だと思ってしまっている人たちが、どうにかして必死にやりつづけている、という類のものです。逆にいえば、そんな状況でも必死にやりつづけてしまう人が、なぜか世界中どこでも絶えていない、ということが不思議なのです。

なので希望は、それでもなお舞台芸術を志す若者たちが後を絶たないということです。一方で悔しいのは、東京では、そういった若者たちの多くが、30代になるまでに舞台芸術界を去っていってしまうことです。それから先もつづけているのは、舞台芸術に関わらない人生はありえない、と思っている人たちです(そう思っていてもつづけられない人も数多くいますが)。

 

・メディアの発達と「舞台芸術の危機」の深化

大都市というのは、大まかには、商品経済のスペシャリストたちが住むところです。売る方も買う方も、毎日朝から晩まで、商品の価値を見定める訓練をしています。そんなところに、こんな妙な「商品」を置かれても、みんな扱いに困ってしまいます。なぜ困るかというと、「生産コスト」と「消費者が認識するであろう価値」とがあまり見合っていないんです。えらくがんばってつくっているのに、できたものは、他の「商品」よりも、ぱっと見、それほどすてきでも便利でもなかったりします。テレビとか映画とかと比べると、舞台には、すごくきれいだったり、かっこよかったり、有名だったりする人は出ていないかもしれません。イメージも音も迫力が欠けていたり、親切に説明してくれなかったりします。場面はほとんど変わらないし、たまに場面が変わるときにはえらくモタモタしたりします。

この意味で、実はここ数十年で、「舞台芸術の危機」の中身もちょっとずつ変わってきて、いってみればさらに深化しています。舞台芸術は自宅やスマホではなかなか見られません。いつでもどこでも動画が見られ、いつでも中断できるのに慣れてしまうと、わざわざ特定の場所に足を運び、数時間一カ所に留まってずっと同じものを見なければならない、というだけでも、かなりハードルが高くなります。しかもそこで見られるものは、デジタル処理された動画に比べて、はるかにできることが少ないもの、ということになります。

裏を返していえば、今の社会のなかでは、舞台芸術というのは、いわば特殊な想像力を持っていないと楽しめないものになりつつあるわけです。だいぶ前から「観客をつくる」といった表現がよく使われるようになっているのもそのためです。「顧客をつくる」なら、どんな企業でもやっていることでしょうが、ここでいう「観客をつくる」というのは、ちょっと意味合いが違います。「顧客をつくる」というのは、いろいろある同種の商品のうちから当社の商品を選んでもらう、といった意味で使われることが多いでしょう。ところが「観客をつくる」というのは、そもそも舞台芸術というものを見たことがない、見ようと思ったこともない、といった方が、劇場に足を運んでくれるようにする、という意味で使われます。

それが使命の一つだとすると、公共事業としての舞台芸術というのは、ちょっと不思議なものです。そもそも必要を感じていない人が大半なのに、わざわざ公共のお金で劇場をつくったり、舞台作品を上演したりして、必要だと思っていない人たちに必要だと思ってもらう、ということをやろうとしているわけです。なぜそんなことをしなければならないのでしょうか。ちょっと寄り道しながら考えて見ましょう。

 

・「贈り物」としての舞台芸術

最近、舞台芸術というものは結局のところ「商品」ではなく「贈与」としてしか成り立たないのではないか、という気がしてきています。思えば舞台芸術が本格的に「商品」となったのは、世界的にも、せいぜいここ二、三世紀くらいのことに過ぎません。それ以前には、舞台芸術は多くの場合「贈与」の経済のなかで成り立っていました。つまり、みんなでお金を出し合ったり、お金を持っている人がたくさん出したりして、お芝居なり踊りなり歌なりがうまい人を呼んで、みんなで見る、というやり方です。今でも、たとえば花火大会なんかはだいたいそうやって成り立っていますよね。花火はお金を持っている人が自分一人のために打ち上げたところで、あんまり盛り上がりません。みんなで見ないと意味がないんですね。

そもそも、人類600万年の歴史のうち、お金による経済というのは、せいぜい数千年の歴史しかありません。世界中の人類の大多数がお金を使って暮らすようになったのは、せいぜいここ一世紀くらいのことです。お金による経済は「等価交換」という原理によって成り立っていますが、それ以前からあった「贈与」による経済では、必ずしもそうではありません。

たとえば大根ができたときに隣のうちに大根を持っていって、隣のうちは鶏が卵を産んだときに卵を持ってきてくれたとすると、「大根何本と卵何個は等価だから貸し借りなし」という話にはなりません。お互いに恩が生まれ、この「相互の贈与」という関係は(どちらかが「縁」を切らない限りは)終わることがありません。この関係はかつて、セーフティネットとして機能していました。物がないときでも、困ったときには隣近所や親戚にお願いすることができます。でも一方でこれは面倒な仕組みでもあって、必ずしも物質的な「必要」がなくても、たとえば「お歳暮」といった形で、定期的に贈与しつづけなければならなかったりもします。この仕組みの代わりに、「わたし」と「あなた」以外の別の誰かが贈り物の価値を決める「お金」という仕組みを導入すれば、「一回限り、貸し借りなし」の取引が可能になって、永遠に終わらない贈与のサイクルに巻き込まれることはなくなり、面倒はずっと減ります。

 

・新たな「縁」をつくる「無縁」の場としての劇場

日本芸能史をひもといてみれば、かつて芸能の民は「市庭(いちば)」などと呼ばれる、主従や家や地縁といった日常の縁とは切り離された「無縁」の場で上演活動を行っていました。そして商業もまた、そのような「無縁」の場を必要としていました(上のような「相互の贈与」によってつくられる「縁」を一端切り離さないと、商売は成り立ちません)。そして、この「市庭」がやがて「市場(いちば)」となり、都市に発展していきました。つまり、芸能は都市を形づくる「無縁」の論理と切り離せないものでした。

でも一方で、芸能はなかなか「市場」で「交換」されるものにはなりませんでした。たとえば神事として行われる芸能は、みんなでお金や物を出し合って神様に捧げる、という形になります。あるいは、芸能者が神様仏様に捧げるものを分かち合い、それに後からお金や物を出し合う、という形もあります。芸能は花火と一緒で、一人で「買って」も、あまり意味がありません。

そのようにして行われる芸能が農村を都市に向かって開いていく役割を果たしていたのは、芸能が新たな共同体を形づくる機能を持っていたからです。劇場においては、偉い人もそうでない人も、お金持ちもそうでない人も、見る場所の違いは多少あるとしても、同じ空間のなかで、同じものを見て、同じものを聞くことになります。そして一つの物語、日常から離れた昔々の物語や神々の物語を共有することで、日常の社会の縁が一旦断ち切られて、新たな縁が生まれるのです。「無縁」の場としての劇場は、ふだんの「縁」とは異なる縁を作りだす場でもあります。

一方、大多数の人が都市に住むようになった今日では、かつての「家」や「地縁」のしがらみはなくなり、お金が全ての「縁」を肩代わりするようになってきています。お金も「縁」をつくりますが、「金の切れ目が縁の切れ目」になってしまいます。そんななかで、芸能が商品となって消費され、都市という共同体を補完する役割を果たしたこともありました。それはやがて、ラジオや映画やテレビの「芸能界」に取って代わられていきました。ラジオやテレビにおいては、視聴者は直接にはお金を払わない場合もありますが、その場合には、広告を見て「消費者」の共同体の一員となることで、製作や放送にかかるコストを負担しています。

 

・双方向性と身体性

このような遠隔放送や録音・録画といった技術は、舞台に比べて、圧倒的に多くの人に伝えることを可能にします。見る人・聞く人が増えれば、その分一人あたりのコストはずっと安くなりますし、より大きな予算をかけて作品をつくることも可能になります。一方、そこで失われるものもあります。「双方向性」と「身体性」です。

舞台を見るときには、演じる人も見る人も同じ空間にいます。お客さんがしーんとしているか爆笑しているかによって舞台の雰囲気は全く変わりますし、その気になればお客さんだって声を上げられるし、舞台に上がって文句をいうことすらできるかもしれません。そこまでいかなくても、終演後に舞台をやっている人たちに、直接感想を伝えることはできます(けっこうみんな聞きたがっています)。お客さんの反応によって、翌日から舞台の内容が変わることはけっこうあります。もちろんテレビやラジオにも視聴者参加が全くできないわけではありませんが、空間が隔てられている分、「双方向性」はだいぶ限られています。

もう一つの「身体性」というのも、「双方向性」と関わっています。もちろん映画やテレビでも出演者の体は目に見えますが、その体は見ている私たちの体と同じではなく、決して触れることのできない体です。たとえば映画館に『ローマの休日』を見に行ってもオードリー・ヘプバーンその人には出会えません。でも、舞台であれば、出演者は必ずそこにいます。私たちと同じ体をもって。静岡の演劇祭では、フェスティバル・バーで出会った俳優と観客が結婚した例だってあります。しょっちゅうそんなことが起きるわけでもないにしても、少なくともそこには人間同士、ある程度対等の関係があります。舞台芸術に触れると、生身の「私」が他の誰かに影響を与えうる、という希望を得ることができるのです。

インターネットやSNSが発展してきたときには、「双方向的」なメディアとしての可能性に期待が集まり、実際にそれがある程度政治を動かした例もありました。とはいえ、そうなったのはそれが実際に同じ場で顔を合わせるために使われたときだけでした。

 

・新たな共同体を創造する場としての劇場

ヨーロッパで舞台芸術が多額の公的資金によって支えられているのは、「劇場が今の市民社会を作った」ということが、人々の間で共有されているからです。フランス革命においても、劇場が大きな役割を果たしました。劇場では、見ている人がその場で感想を共有することで(言葉だけではなく、拍手や笑い声でも)、新たな共同体が生まれるからです。

近代社会において、「芸術」と呼ばれるものは「既存の価値を問い直し、新たな価値を創造する」という役割を果たしてきました。それが「芸術」の定義だとすると、定義上、多くの人に価値が共有されているものではないので、商品とはなりにくくなります。市場経済における「等価交換」とは、どれくらいほしい人がいるのか、ということと、商品がどれくらい供給されるか、ということのあいだで価値が決まる仕組みです。そこでは「ほしい」ということがはっきりしていることが重要になります。「ほしいかどうかよく分からないもの」というのは商品として成り立ちません。それでも絵画や彫刻なら、一人でも買いたい人がいれば取引が成り立ちますが、舞台芸術ではそうはいきません。

だから舞台芸術においては、「この人なら面白いもの、納得のいくものを見せてくれる」という信頼関係を築いていくことが重要になります。そうして観客も、新たな価値を創造するパートナーとなっていくのです。

 

・都市の孤独とマスメディアの非対称性

私は必ずしも「芸能」と「舞台芸術」とを厳密に区別すべきだとは思いませんが、「芸能」が完全に市場の論理に組み込まれて商品になってしまうときには、それが共同体をつくる機能は損なわれる、と考えています。今、都市が抱えている最大の問題は「孤独」です。この問題の根底には、「自分が生きている事は他の人にとってどうでもいいんじゃないか」という感覚があります。そしてその背景となっているのが、市場経済の普及なのです。

市場経済の論理のなかでは、「作り手の数÷消費者の数」という比率が小さくなればなるほど、つまり「消費者」が増えて「作り手」が減るほど人件費の比率が下がって、利益が上がることになります。この仕組みのなかでは、「作り手」と「消費者」とが一対一の対等な関係を結ぶ機会は失われていきます。(この非対称性を、数としては圧倒的多数の「消費者」を勝手に代表することで反転させようとするのが「クレーマー」なのだと思います。)

作り手は先回りして消費者の「ニーズ」を「発見」し、メディアを通じて、なるべく多くの消費者たちに「ニーズ」という物語を流通させます。マスメディアによって作られる物語においては、このように「作り手」と「消費者」とが非対称となる仕組みができていきます。この非対称性は、録音・録画・放送といった技術によって飛躍的に高まりました。そして大きな資本をもつ「作り手」が「必要性=ニーズ」をつくりだし、流通させることがより容易になりました。

そのため、マスメディアで有名になった人や事物に依存して舞台芸術の公演が行われるときには、比較的「商品」として成り立ちやすいものにはなります。その一方で、「作り手」と「消費者」とのあいだの関係は必然的に非対称なものになります。つまり「テレビに出ている有名人が生で見られる」ということを売りにしてしまったら、テレビが成り立っているのと同じ仕組みに組み込まれることになり、舞台芸術の特性の一つが活かせなくなりがちです。

 

・舞台芸術の可能性

今日の都市は、人と人とを分断して、その間に見いだされた「ニーズ」を商品によってつなぐことで成り立っています。分断が進めば進むほど「生産的」な社会になっていくのです。そのなかで、人と人とが向き合うことによってしか成り立たない舞台芸術は、徐々に周縁へと追いやられていきました。でも、この仕組みが世界を隅々まで覆いつくそうとしている今、舞台芸術という太古の技術が、ふたたび必要とされているように感じています。目の前にいる人の表情や体のバランスのちょっとした変化にスリルを感じなくなってしまったら、同じ生き物としての共感も失われていきます。そして「無縁」の場としての都市が新たな「縁」をつくる機能を失うと、都市は荒廃していきます。でも舞台芸術に触れれば、人はあらかじめ用意された商品のなかから選択する自由だけでなく、共感する人々と出会って新たな仕組みを作り上げる能力も持っていることに気づかされます。

「東京芸術祭直轄プログラム」では、「新たな価値を提示していて、かつはじめて劇場に来る方でも楽しめるもの」ということを、作品を選ぶ際の一つの基準にしています。東京という都市が人をつなぐ機能を取り戻し、舞台芸術が新たな縁をつくりだす機能を取り戻すために。そのためには、東京の舞台芸術界が、今よりももっと、世界や日本の他の地域で活動している人たちと出会う必要があります。

東京芸術祭では、引き裂かれた世界を縫い合わせているような仕事をしているアーティストたちを紹介していきます。「舞台芸術」という、ちょっと古めかしい技術を使って。私よりずっと先にこのことに気づいて、世界を一針ずつ縫い合わせてきた人たちが、みなさんと出会うために、世界中から池袋にやってきてくれます。劇場に足を運んでいただければ、きっとみなさんにも、ほつれた糸の先が見つかるでしょう。一人でも多くの方に、「祭」にご参加いただけるとうれしいです!

横山義志(東京芸術祭 直轄事業ディレクター)



横山義志(よこやま・よしじ)  ― 東京芸術祭 直轄事業ディレクター
1977年千葉市生まれ。中学・高校・大学と東京に通学。2000年に渡仏し、2008年にパリ第10大学演劇科で博士号を取得。専門は西洋演技理論史。2007年からSPAC-静岡県舞台芸術センター制作部、2009年から同文芸部に勤務。主に海外招聘プログラムを担当し、二十数カ国を視察。14年からアジア・プロデューサーズ・プラットフォーム(APP)メンバー。2016年、アジア・センター・フェローシップにより東南アジア三カ国視察ののち、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)グランティーとしてニューヨークに滞在し、アジアの同時代的舞台芸術について考える。学習院大学・静岡県立大学非常勤講師。論文に「アリストテレスの演技論 非音楽劇の理論的起源」、翻訳にジョエル・ポムラ『時の商人』など。舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)理事、政策提言調査室担当。