東京芸術祭ファーム<The City & The City:Mapping from Home >レポート(後編)

Homeから出発し、Homeに帰る

7月より3カ月間、東京とバンコクの2都市から計6名のアーティストやリサーチャーが参加し、エクスチェンジが行われてきた「The City & The City: Mapping from Home」(以下、TCTC)の最終成果プレゼンテーションとして、9月17日〜20日に豊島区のターナーギャラリーでグループ展が開催された。

このプロジェクトが始動した当初は、東京とバンコクの2会場で、それぞれの都市を拠点している参加者が別々の展示を行う予定だったが、タイのロックダウンの影響で途中からバンコクチームのプレゼンテーションはオンライン展示となり、さらに東京の展示を企画した際に、バンコクチームの作品も取り入れたほうがおもしろくなるという発見があり、結局、今回は6人の参加者がいっせいターナーギャラリーで展示することになった。
休日も挟んで3日間の会期はあっという間に終了したが、展示とTCTC全体の振り返りとして、展示後の9月23日の夜にまとめミーティングが行われた。東京チームとバンコクチームを繋いだ最後の全体ミーティングでは、プログラムディレクターの長島確が参加者一人ひとりにインタビューするかたちで、今回のリサーチと制作のプロセス、そして展示の感想が共有された。

このレポートでは、実際に展示空間を周るように、それぞれの作品を紹介しながら、最後の全体ミーティングで議論されたことも合わせてお伝えする。

取材・文:ジョイス・ラム

今回の展示会場であるターナーギャラリーは西武池袋線の東長崎駅から南の住宅街を通り抜けて、目白通りに面した大通りに佇んでいる。ポスターカラーやネオカラーをはじめ、アクリルガッシュなど多彩な絵具の製造販売を行う会社、ターナー色彩が持有するギャラリーで、中には20世紀の西洋建築様式から影響を受けたようなアーチなどの装飾があって、インテリアに特徴のある建物だ。

 

Photo:冨田了平

会場に入っていくとすぐに、床にティップスダー・ライマトゥラポン(フーリー)さんの映像作品が置いてあった。CGの人形がタイ語で何かを語りかけている。英語と日本語の字幕を読むと、人形は「私はここに住んでいるの?」「じゃ、ここはどこ?」と話しているようだが、話しながら人形を囲む背景の絵も止まることなく変わっていく。人形の瞳は、時に景色も映るが、白い空洞になるときはなんだか悲しい気持ちを覚える。人形は何を見ているのだろう。この人形は「誰」だろう。とにかく気になってしょうがない。
フーリーさんはバンコクの郊外で暮らし、周りにアートに興味を持たない人が多いようで、日常生活の中でどのようにアートに触れ合う場所が作られるのかを常に考えてきた。最初は家の中にあるモノや家族の関係性から構想を始め、コミュニティーを形成するための試みとしてホームページを立ち上げていたのが、なぜこの人形を作ることになったのか。話を聞いてみると、ホームページで行われた交換と記録は少しずつ溜めてきたが、結局のところ、その内容に対して自分もそれほど興味が湧かないと気づいたことから、自分は誰も興味が湧かないものを作りたいのかもしれないと考え始めたそうだ。
それまでにリサーチした内容はバラバラのものだったが、それをまとめるために、散漫にでも考えたことをすべてこの人形に語らせようとした。人形は仮の自分を表現しているのだ。観客がどう反応しても、意味がわからなくても人形は語り続ける。その内容を解釈しようとする観客もいるが、実は無関係のことを繋いでいるから理解不可能かもしれないと、フーリーさんは説明した。
家と家族の関係性というテーマは一言でまとめられない、あまりにも大きなテーマだと思う。リサーチを進めていくなか、フーリーさんもきっとその情報量とさまざまな見方に何度も圧倒されただろう。それをシンプルに、ストレートにまとめないで、あえて複雑のままで見せることは、家族関係の本質を捉えているかと思うし、フーリーさんの作品が飛躍したところだと思った。

ティップスダー・ライマトゥラポン《 私はね、自分が出会ったものがとても好きなんだ》 Photo:冨田了平

ギャラリーの奥に進むと、左側には2チャンネルの映像作品と、英語で話している男性の声が流れていた。犬の耳が映っているので、この作品はラナ・トランさんが飼っているペッパーが近所を散歩している映像だとすぐにわかった。ラナさんは自身とペッパーにも小型軽量ビデオカメラを一台ずつつけて一緒に散歩している様子を記録したが、二つのモニターは人間の目線の高さとペッパーの目線の高さに合わせて設置された。ペッパーはどのようなものに反応するのか、何に関心を持つのか、映像の向き方で明瞭に見えてくる。ペッパーがラナさんの方を向いても彼女の顔は見えないというところから、人間と犬が見える・認識する景色はやはり全く違うのだと、改めて実感させられた。

ラナさんはペッパーを飼い始めてカ月になるが、このプロジェクトはそのうちのカ月ほど行われていたので、ペッパーと一緒にいる時間の半分はこのプロジェクトに参加していると振り返る。TCTCをきっかけにペッパーと一緒に近所を散歩することで、ペッパーのことをより理解できるようになり、ペッパーとの関係性が変わった一方で、ラナさんのお父さんはよく犬の話をしていたことを思い出したという。それが理由で、展示に向けて準備したときに、あらためてお父さんに犬の話を聞いてみようと思ったと、経緯を教えてくれた。ラナさんのお父さんは昔ベトナムで匹の犬を飼っていたが、犬をベトナムに残したままカナダに移住したそうだ。罪悪感もあるのか、それ以来、犬を飼ってないとのこと。この話を聞いたラナさんは、自分が犬を飼い始めたことで自身の家族の歴史に繋がったと感じられたと話した。「移住してきた場所に『ホーム』は作り出せるのか」を問い続けてきたラナさんにとって、犬を飼うことはホームを作っていることにまで、広げて解釈できるのだろう。

ラナ・トラン《犬につくらせた散歩コース 犬繁塚→多摩川》 Photo:冨田了平

その反対側の壁には、植物の写真が規則的に並べられており、その上にまるでオーガンジーの布がかかっているように、川の映像、赤いカーナビのサイン、そして中国語、日本語のテキストの断片の映像がプロジェクションされている。写真作品を多く発表してきた、リリー・シュウ(LILY SHU)さんの作品だ。

リサーチが始まった最初からリリーさんは植物に興味を持っており、展示でも植物というモチーフは貫かれている。制作途中、バンコクチームのメンバーをはじめ他人に植物の写真を撮ってもらい、その写真を提供してもらう案もあったが、リリーさん自身が撮影したからこそ浮かび上がる情景的なリアクションは、他の人が撮影した写真を見たときのそれとは感情的に違っているということが再認識できたと振り返る。
これまでのリリーさんの作品は、写真を再構築してコラージュする作品が多かった。写真に映っている景色と実際の目で見た景色は異なるものになるが、それをひとつの枠に納めずに、自由に表現したいと語る。今回の写真は偶然に撮ったものが多く、定着している像に正面からプロジェクターの光を当てることで、可視と不可視の紙一重の関係、視覚の流動性を示唆するよう試みた。

リリー・シュウ《The Here and Now:SEED》 Photo:冨田了平

もうひとつの展示会場となっている階に上がると真っ白な空間が広がる。階の展示は個人の内面的な要素が強く感じるが、階の展示は「うち」と「そと」の関係性やその境界線への問いかけから始まり、だんだん外へと開けていくという印象を受けた。

まずは窓際に設置された大きなモニターに目が引かれる。その日は晴れて入ってくる光も強かったが、逆光の位置で映像作品を設置することは多く見られないので気になった。破れたネット、じっとしている昆虫、裂け目、雨の跡、露光しすぎた写真。何が映っているのかを理解するまでは少し時間がかかったが、雨など外の要素が家の裂け目に入ってきた痕跡として現れているシミを見ると、「いい家」を成立させる要素や条件について問い詰めるアチッタポン・ピアーンスックプラサート(フィーム)さんの作品だとわかった。

コロナの影響で外に出られなかったことから、フィームさんは家の中にいながら入ってくるものへの認識をどのように解釈できるのかを考え始めた。家の中の空間と外の生態の関係性をリサーチするために、自分の部屋にある壊れた窓から始めて、さらにその周りの環境を取り入れて、生態的、政治的な文脈ではどのような影響を受けるのかについて考えを広げた。家の居住状況や土地所有権などからは、タイにおける激しい格差も観察できた。今回の作品は「家」をテーマにしながら、「家」に関わる個人的なアプローチと政治的なアプローチを比較しながら挑戦したという。

アチッタポン・ピア―ンスックプラサート《模倣の崩壊》 Photo:冨田了平

同じ窓際の奥側には、形状がはっきりしないオブジェが置いてあった。迫竜樹さんが作った他人の家の窓の中に見えた正体不明の物体に基づく造形物だ。
その近くの壁には、少し不思議な映像がある。迫さんが同居している弟との会話を中心に構成されている映像作品だ。真ん中には緑がかかっている長方形が投影されているが、その緑の色が濃くなったり、明るくなったりする。ある食堂で食べたパフェの色を思い出しながら兄弟で交わす会話の内容に合わせて、映像の色も変化する。両側に字幕が表示されるので、真ん中の長方形は家族の食卓を思い出させられる。迫さんが書かれたステートメントを読むと、弟と話が噛み合っていないと言いきっているが、その微妙なすれ違いは実際の食卓の会話に近いのではないかと感じた。その妙な距離感と、他人の家の窓の中に見えた正体不明の物体から感じる距離感は対等で、二つの作品は同じ距離感を表現しているという。

迫さんは最初引っ越したばかりのまちや自分の身回りに関わる特定の場所を理解するためにリサーチを始めたが、進めていくうちにその対象を自分に向けるようになって、自分が落ち着く場所を探していくようになったと振り返った。リサーチ中、東京の街中を歩いてリサーチしているはずなのに、なぜか自分の記憶や拠り所を探すようになったのかについて悩むことを経験した。そこから、ホームという概念が物理的、地理的にあるのではなく、自分の記憶の中にあったり、弟との会話の中に自分の落ち着くホームがあるのではないかを考えるようになったと話す。

迫 竜樹《object》 Photo:冨田了平

部屋の一番奥には、あるルートが描かれたマップとその内容に連動した3時間の映像が展示されている。ピッチャーパー・ワンプラサートクン(ナムウン)さんが、一人暮らしをしている家から、知らない人に道を聞きながら実家にたどり着こうとするパフォーマンスを実行したときに、実際に交わされた会話の記録だ。このパフォーマンスは最初「自分の家はどこですか」と知らない人に聞いてみるところから始まるが、相手は漠然とした質問にさすがに驚いたようだった。そこで、代わりに、まちの中で指標となるモニュメントの場所を聞くようにして、質問の仕方を変えたそうだ。それでも、モニュメントまでの徒歩のルートがわからない人が多かったので、今度は近くある市場の場所を聞くようにして、質問を変えながらパフォーマンスを進めたとナムウンさんは振り返る。

 

作品のタイトルは《ハロー、ストレンジャー》。このタイトルを見ると、実家までたどり着こうとする目的よりも、ナムウンさんがその途中で出会った、バンコクに住むストレンジャーたちの日常生活が垣間見えることのほうが、この作品の中で大切な出来事だった気がした。最後には実家に着いて、お母さんと話す内容も聞ける。家族と久しぶりに会ったときの温かい会話のようにも感じるが、もう一度作品のタイトルを思い出してみると、家族も結局他人(ストレンジャー)だということについて考えさせられた。

 

ピッチャーパー・ワンプラサートクン《ハロー、ストレンジャー》 Photo:冨田了平

TCTCは本来、東京とバンコクの参加者がお互いの都市を訪れ、共に制作するプロジェクトのはずだった。コロナの影響で海外に行くことが難しくなったが、不安定な状況にいるからこそ、より柔軟に考えて、予定していなかったことにも取り組めたのではないかと、かたわらで制作プロセスを見ながら思った。東京チームの参加者だけがターナーギャラリーで展示する予定だったのが、バンコクチームの作品も入れて、同じ空間で展示することによって、離れた場所にいながらもお互いに影響し合った部分が顕著に現れたのではないか。バンコクチームのオンラインエキシビションのウェブサイト(https://mappingfromhome.com/)をみると、バンコクチームの作品だけではなく、東京も含めた制作プロセスのアーカイブの画像も見られる。異なるメンバーの記録を織り交ぜ、お互いに刺激し合っている部分も表しているのではないかと思った。

展示することもまた、参加者の内面的、感情的な部分を引き出せたと実感した。これはリサーチのプロセスだけでは見られなかったことだった。たとえば、ラナさんはリサーチャーとして、いわゆるアート作品を制作するつもりはなかったと明らかにし、テキストも自分のためにそのときに感じたことを理解するために書いただけだと話した。他の参加者も、都市やまちを調べるつもりでリサーチを始めたはずだが、結局自分のことに目を向けるようになった作品が多く見られた。制作プロセスは、個人の内なる気持ちを理解し、整理する手段だが、外部に向けて表現・展示することで、鑑賞者を介してまた新しい解釈を獲得できたのではないかと思う。特に、今回は「東京」と「バンコク」のまちをリサーチした成果物が同じ空間で展示されていたので、それぞれのまちの特徴と輪郭も顕著に浮かび上がったように感じた。
TCTCのプロジェクトで、参加者は都市を理解するために自分の「ホーム」を出発点としてリサーチを始めたが、自分の住むまちを散歩に出かけて、それぞれの深い内面的な場所(ホーム)に戻ってきたのではないか。最後のミーティングを聞きながら、ふとそのような気がした。

詳細はこちらから
https://tokyo-festival.jp/program/tctc
バンコク オンラインエキシビションはこちら(公開は2021年11月30日まで)
https://mappingfromhome.com/

ジョイス・ラム

香港生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻在籍。ドキュメンタリー映像やレクチャーパフォーマンスの制作を通して「家族の定義」を捉え直す。主な作品に『家族に関する考察のトリロジー』『新異家族』『食火』がある。編集者としても活動している。担当した作品集は片山真理『GIFT』、武田鉄平『PAINTINGS OF PAINTING』、Chim↑Pom『We Don't Know God: Chim↑Pom 2005-2019』(以上、ユナイテッドヴァガボンズ)など。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)日本語・経済学科卒業。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。