Asian Performing Arts Camp(後半)プロセス発信記事(関口真生)

オンライン上の舞台芸術は現実の代替なのか? Camp参加者が得た「創作と交流」のテクニック

関口真生

3ヶ月という、短いようで長いこの期間を参加者の8人は何を思って過ごしたのだろうか──。

Asian Performing Arts Camp は、アジア各地で活動する若手の舞台芸術の人材が、今後の自身の活動やフィールドを耕していくためのアートキャンプである。それぞれの問題意識やリサーチテーマを持ち寄り、 文化や国籍を超えたディスカッション、共同リサーチなどを通じて新たな価値観を育むことを目指している。2回目のオンライン開催となった今年は、アジアで活動を行う8名が参加した。それぞれの普段の表現活動は演劇、映画、ダンスなどバラバラだ。専門は異なるが、新たな交流を得て自分の表現をブラッシュアップしたい意欲は共通しているように感じた。8月、ファシリテーターや通訳と共にプロジェクトが出発した。

全13回のセッションのうち、最初の4回は参加者同士の興味関心の共有や、普段の活動の紹介を行うものだった。私はこの時に数回見学したが、この時点で個人の研究はどれも興味深く見応えのあるものだった。中間セッションでは、参加者8人による個別の発表が行われた。プレゼンテーションはもちろん、リサーチ、ダンス、ドキュメンタリーアクティングなどの発表を見ることができた。Camp以外の東京芸術祭ファーム参加者や、東京芸術祭関係者からのフィードバックを経て、残りのセッションで個人の発表から複数人でのコラボレーションワークにするための話し合いに進んだ。そして公開セッションでは2組のグループ発表と2人の個別発表が行われ、ゲストフィードバッカーから手厚いコメントが送られた。良かった点も改善点も参加者の胸に深く残ったに違いない。

この記事では中間セッションから公開セッションまでの後半期間の活動に焦点を当てる。私が後半の創作を見学して印象に残った点は2つある。ひとつは、中間セッションから公開セッションまででいくつかの作品が劇的な変化を遂げたことだ。私がCampの活動を最後に見学した日は9月中旬で、10月の公開セッションまで1ヶ月ほど創作過程を見ていない時間があったのだが、その間にグループによる話し合いが進められ、公開セッションでは中間セッションから大きく発展した発表を見ることができた。

安艺(アン・イー)さん、エーロン・カイザー・ガルシアさん、梁辉杰(ジェット・レン)さんの共同で創作した「(+63)(+60)(+86)」という発表では、観客が何を選択するかの判断を観客自身に委ねるという点が重視されている。観客は4つのブレイクアウトルームを自由に行き来することができる。

3人の発表は、どれもアジア圏の地理的な文化や伝統の共有を下敷きにしていたが、アプローチ方法はそれぞれ異なっていた。私が見た時、ガルシアさんの部屋では観客を交えてフィリピン民族舞踊のダンスレクチャーが行われていた。しかし梁さんの部屋に移動すると、先ほどの部屋と雰囲気がガラリと変わり、厳かにパフォーマンスが上演されていた。また、安さんの部屋では観客と一緒に「つながる」ためのムーブメントが行われていた。4つ目の部屋であるビデオルームでは事前収録したコメント映像が再生されていた。中間セッションでの3人の発表は、ダンスレクチャー、画面上での群舞、影絵芝居についてなど、一見全く違うものに見えたが、身体の集合や再解釈を目指す点では共通する部分があった。今回のコラボレーションは3人の探求視野の拡大に繋がっただろう。オンラインの空間のレイヤーと身体性をうまく融合させたパフォーマンスであったと思う。

朱曼寧(チュウ・マンニン)さん、升味加耀さん、筒 | tsu-tsuさんのチームは、「小籠包の(正しい)食べ方 — 自分のキャラクターを理解するための演技ワークショップ」という発表を行った。3人が持っていた関心から「自分にとっての物語」をキーに話し合いを始め、観客の関与の度合いを上げるパフォーマンスの設計を試みた。最初にワードウルフを行って観客にレッテルの存在を意識させた。その後小籠包を食べる3人の動画を観察してそれぞれの特徴を出し合い、レッテルの貼り替えによるドキュメンタリー演技を行った。コラボレーションによって3人が個別で持っていた課題意識を共有することができ、「小籠包を食べる」という日常的な動作を解体して考える斬新な方法が生まれた。

印象に残った点のもう一つはオンライン(Zoom)との付き合い方だ。今回のCampは全てオンラインでの実施であり、参加者同士が対面で会うことはなかった。よって、頻繁に「オンライン上でのコミュニケーションのあり方」について問われることとなった。コロナ禍からオンラインプログラムとなったCampは、時間の共有が要となる舞台芸術の創作が、オンライン上でどこまで可能かを第一線で模索している取り組みとも言える。

参加者も運営チームもオンライン空間を積極的に活用し、より良い創作現場づくりに役立てた。私が見学した日には、東京芸術祭ファームの顔合わせでも使用されたGatherというバーチャル交流サイトを使って、参加者同士で自由に話す機会が設けられた。Gatherではリアルスペースと同じように自由に動き回り、近くにいる人と会話ができる。私はGatherを初めて使ったが、Zoomのブレイクアウトルームと違い会話する人が限定されておらず、自由に聞いたり抜けたりすることができるのが良いと思った。また、対面で行うグループワークに近い交流ができ、グループ分けの糸口になる会話が生まれた。

参加者のプレゼンテーションにもZoomの機能が自然に取り入れられていた。たとえば、公開セッションの朱さん、升味さん、筒 | tsu-tsuさんのチームではプレゼンの最初にオリジナルの画像が配られ、視聴者もお揃いのZoom背景画像で参加するよう促された。画面全部がお揃いの画像になると、まるで参加者、観客ともに同じTシャツを着ているような連帯感が生まれた。

中間、公開セッションでは参加者のプレゼンに対して観客が思ったことを書き込むためにSlidoというサイトが使用された。Slidoでは記名が推奨されたが、匿名でも書き込める。リアルタイムで大量のフィードバックをもらえることが利点として挙げられるが、そのフィードバックが全て参加者に寄り添ったものである保証はない。やはり手厳しい意見や批評的な意見は匿名が多かったように感じられる。人は対面でマイクを回されて発言する時の「あの緊張感」でかなり言葉を整えているのだと気付かされた。

今回のCampでは、オンラインをいかに活用するかが活動と切っても切り離せない課題となっていた。もちろん参加者同士が対面で会うことができていたらさらなる発想の飛躍が期待できたかもしれないという見方もできる。だが、むしろオンラインだったからこそ、普段行っているオフラインの活動から距離を置いて自由な視点で創作できたのかもしれない。舞台芸術の作り手が創作の第二の居場所を持つ機会は少ないと感じるため、たとえオンライン上であっても参加者にとって十分貴重な経験だっただろうと推測する。

対面であってもコミュニケーションが難しくなっている現代において、オンラインで心を通わせることは可能なのか。Campのプログラムに関わった全員の挑戦でもあったと思う。言語の壁がある中必死に言葉を紡いだり、Zoom上でのパフォーマンスのために何度もコラボ相手と調整を重ねる姿を見た。対面でもオンラインでも変わらない交流の核を確かに手にした瞬間がたくさんあったと思う。一方で、オンライン上のコミュニケーションに長けることがCampの本来の目的ではない。参加者の8名は舞台芸術を活動基盤としており、今後の活動も対面で行う機会が多いであろうと推測する。公開セッション終了後のラップアップでは、今度は対面で会いたいという参加者の声が多く挙がった。やはりオンラインは対面の代替でしかないのだろうか。この期間で私の答えは出なかったが、機会があれば他の参加者にも聞いてみたい問いである。

東京芸術祭ファーム ラボ プロセス発信記事について

東京芸術祭ファーム ファーム編集室のアシスタントライターが、東京芸術祭ファーム ラボのプログラムのプロセスに帯同。東京芸術祭ファーム編集室室長監修のもと、人材育成、教育普及の場である「ファーム」のプログラムについて、活動の実態、創作過程などを発信するものです。

ファーム編集室およびアシスタントライターについて

舞台芸術を伝える言葉は、今、大きな環境の変化に直面しています。 たとえば、舞台上の出来事のみを「成果」として俯瞰し論じるあり方は、近年増えつつある、制作プロセスやコミュニティとの相互関係を重視するプロジェクトには、あまり有効とはいえません。また、SNSの隆盛による情報環境の変化も、「伝える言葉」(とりわけメディアを通した言葉)のあり方に、さまざまな方向から再考を迫っているでしょう。 こうした状況を踏まえ、2022年、東京芸術祭ファーム ラボでは、あらためて舞台芸術を「言葉」にして伝える方法を模索、 探求する「ファーム編集室」を立ち上げました。アシスタントライターは、国際共同制作の現場に併走しつつ、実際に記事を企画し、執筆するプログラムです(参加者は公募により選出)。

東京芸術祭ファーム ラボ ファーム編集室

室長:鈴木理映子
アシスタントライター:
船越千裕 ー東京、大阪
長沼航 ー東京、横浜
関口真生 ー東京
鈴木まつり ー東京、三重