PROCESS REPORT
Farm-Lab Exhibition パフォーマンス試作発表『「クィア」で「アジア人」であることとは?』プロセス発信記事(鈴木まつり)
自分の歴史を語ること......クィアと昔話のなかで
鈴木まつり
東京芸術劇場の地下。人々が行き交い談話するスペースに舞台が設置された。そこにパフォーマーが現れ、観客と日常の延長のように会話がうまれる。普段着のその人物(葵)は「シロ」と名乗った。シロは、観客に向けて「命の話」をはじめる。
まず語られるのは、「竹取物語」におけるかぐや姫をモチーフとした物語である。大月如来(𠮷澤慎吾)は天界で罪を犯したことによって、地上へと落とされてしまう。そして、カグヤ(ノマド)として肉体を得るのだった。「女」という性別を割り当てられたカグヤの前には、その容姿から多くの求婚者が現れ、また、周囲からも結婚を望まれる。しかし、カグヤは「自分でアイデンティティを定め、それを隠すことなく、世間から受け入れられない他の人々のための場所を作る」ため、旅に出る決心をする。
以前その物語を知ったというシロは、次に自身について話しはじめる。こちらは、「花咲かじいさん」をモチーフとしていることが分かるだろう。カグヤに影響され、「男らしさ」「女らしさ」から離れ、好きに振舞うことを選択したシロ。しかし、隣のおじいさん・おばあさんに咎められ、ついにはその命を奪われてしまう......。
本記事では、セリーナ・マギリュー演出の『「クィア」で「アジア人」であることとは?』と題されたパフォーマンスを主題とする。東京芸術祭ファームのプログラムのひとつである「Farm-Lab Exibition」において、試作発表を行った2作品のうちの1本である。
クリエーションでは、約1ヶ月半、6回にわたるオンラインでのミーティングを経て、題材とする物語が選定され、その後パフォーマー自身による脚本の執筆が行われた。その後、マニラを拠点とするセリーナ・マギリューさんが来日し、東京での滞在制作、1週間の対面稽古が行われた。筆者は、その制作の一部を見学したに過ぎないが、以下の文章で、これらの過程を時系列に追っていきたい。
物語の選定
8/17〜9/21にかけて、Zoom上にてオンラインリハーサルが行われた。チェックインと呼ばれるワークが稽古前に行われ、稽古後にチェックアウトを行い終了する流れである。
パフォーマーたちは、公募により選ばれた。応募は、「SOGIE(もしくはLGBTQIA+)の多様性のなかに生き、クィアおよび/またはトランスの一人として自身の生の経験を共有する準備と意欲のある人」「パフォーミング・アーティスト(音楽、ダンス、演劇、パフォーマンスなど分野は不問)であり、その土地におけるトランスやクィアとしてのアイデンティティをテーマに活動した経験を持つ人」であることが条件となっていた。
オンラインリハーサル中、パフォーマーは自己を投影できる物語を選定、そのうちひとりの人物を一人称視点で描き直した。このワークにとどまらず、マギリューさんは、常にパフォーマーが自分自身を語ることを促進させているようだった。それは同時に、物事の捉え方は主観的でも良いのだという肯定にもなる。
昨年度、マギリューさんは東京芸術祭ファームにおいて、Asian Performing Arts Campに参加していた。レインボーフラッグを持ち、ストリートを歩く映像作品は、他の参加者と比べ個人的な思いをそのままの形で表す印象が強かった。今回は、既存の物語が使用される。個人の感覚を、昔から馴染みあるものに落とし込むことで、前回よりも伝えやすく、観劇者が自分ごととして受け止めやすくなると考えられるだろう。
その際、どのレベルで自己を語るか、というその線引きが難しいように思われる。時には表明することで傷さえおいかねない個人的な経験を、「自分」がどこまで「自分」に語ることを許すか検討し続ける必要が生じるだろう。昔話はフィクションとして俳優を保護しうるだろうか。
対面稽古と台本
9/26より東京での滞在稽古が行われた。コミュニケーションデザインチーム、演出助手、音響、舞台監督等の制作に関わるメンバー、そしてクリエイティブインターン、アートトランスレーターアシスタント、このような記事を執筆しているアシスタントライターなどの東京芸術祭ファーム別プログラムに所属するメンバー等が、対面の場で一堂に会することになる。オンラインリハーサルと同様、チェックイン/チェックアウト(始まりと終わりに行われる、現在の状態の報告、ストレッチなどのアイスブレイク/クールダウン的なワーク)が行われた。その際は、ディレクターやパフォーマーだけではなくその場にいた、制作に関わるメンバー全員の参加が推奨された。
主観的な言葉を紡ぐことが目指されるが、しかしその背後には多くの人々が存在する。実際に、初期の台本には、パフォーマーが制作に関わるメンバーを紹介するシーンが組み込まれていた。
台本は、パフォーマーによって選定され、書き換えられた「昔話」を使用することになった。これは、歴史を紡ぎなおす営みであるとも言い換えることができるであろう。「クィア」は、現代において急に出現したのではなく、昔から存在していた。昔話を語りなおすことは、自己の存在を時間を超えて肯定することでもある。
クリエーションを通じて、パフォーマーは舞台の背後にいる存在の言葉を代弁するわけではない。あくまで、自己の話をすることが求められる。自分が紡いだ物語を伝えるとき、信用できるのは自身の肉体だけになってしまうかもしれない。このような多くのメンバーによるサポートは、それにどの程度の癒しをもたらすことができるだろうか。
また、強調すべき点として、身体表現の試みがなされたことがあげられるだろう。𠮷澤慎吾さんによる「大月如来」が地上に落とされ、肉体を得るまでのパフォーマンスでは、一部のナレーションを除き言語は使用されない。自分を「語る」ことを促進しながらも、余地を残し、広げるような表現に手を伸ばしているようだった。
パフォーマーと登場人物
滞在稽古を踏まえ、10/1にランスルー(通し稽古)が実施され、Farm-Lab Exhibitionプロデューサーである多田淳之介さん、メンターの長島確さん、中島那奈子さんよりフィードバックが行われた。以後の稽古は、その際のコメントをもとに台本や演出を変更するとともに、内容を深めていくものとなった。それまでは、行われていたような物語を丁寧に解説する演出がなされていたが、ここではテーマである「アジア人でクィアであること」が持つ可能性を広げることが優先された。現在制作しているパフォーマンスにおいて重要だと考えている部分やシーンを付箋に書き出すワークでは、パフォーマーだけではなくその場にいる制作陣も参加していた。加えて、登場する人物とパフォーマーの共通点、親和性についても考える時間があった。台本として使用されるテキストは、本番期間中にも日々アップデートされ、個人的な経験とのコネクションが強められた。
また、この時期に衣装の決定が行われたことも、重要な点としてあげられるだろう。対面稽古中、メンバーはワークの一環として松濤美術館にて開催されていた企画「装いの力ー異性装の日本史」展に足を運んでいた。話し合いの中で、名前の通り真っ白な衣装をシロのものとして選択すると、語る言葉は全て正義として扱われてしまうかもしれない、という意見が出された。結果、シロを演じる葵さんはその日の普段着のまま舞台へ上がることとなった。
以上のような過程を経て、本番である「試作発表」が行われた。冒頭にも述べたように、舞台がおかれたのは、劇場のような限られた観客に対し公演される場ではなく、通りがかった人が少し立ち止まり、その声に耳を傾けることができる、開かれた場所であった。
シロによる語りかけは、人々が多く行き交うような場に、穏やかに溶け込んでいく。また、そのような語りと肉体との関係性が意識された。大月如来のパートでは、受肉したこと、五感を手に入れ感じることへの喜びと期待が、鮮やかに伝わってくる。空気を吸い込む動作は、世界を肯定するようだった。
しかし、社会という場で、見られ、判断され、決めつけられる、肉体に結びついた「性」ほど疎ましいものはない。「カグヤ」は、ロールモデル、ひいては運動家としてのクィアとも解釈できた。カグヤが、虹色のライトに照らされ、観客をじっと見渡す視線は、挑むような強さを感じるものだった。
過去に自分と同じ人がいたのだと、そしてその存在が肯定されていたのだと感じ、知ることは強く心を打つ。しかし、日常において実践したときには、数々の危険が迫ってくる……それは、作中においてシロが受けた中傷に似ているだろう。
個人の体験について公の場で語ることは危険を伴う。フィクション性、物語性においてそれを保護していたとしても、作品の力強さを優先することは俳優を危険に晒す可能性がある。俳優自身が「よい」と言っても、そしてそれによって感動する人がいたとしても、ストップをかけなければいけない場合があるだろう。「クィア」を扱う作品を、当事者性をもって制作する際に...…ひいては、個人的な、繊細な体験について制作する際に、このことは一番に注意を払うべき点であると考える。
しかしながら同時に本作品における「語り」には、多くのパフォーマー、そしてパフォーマー以外の制作に関わる多くの人々の気持ちが、経験が、委ねられている。物語は自分一人のものではなく、確実に多くの人のものとなっている。
シロはその命を落とすが、墓に植えられた松は大きく育つ。臼にして大切にされていたところを、燃やされてしまい灰になったとしても、肥料となる。そうして「花は咲く」のである。花の香りを、美しさを感じることができるのは、紛れもなく己の肉体だ。
地下から響いた俳優の声は、吹き抜けた天井を超え、地上にまで響く。「あなたと話がしたい」という、シロが最後に放った言葉。それは、上演後行われるフィードバックセッションという場で......いま、この時点で、人を信頼し対等に話ができる可能性を信じたものだったろう。
東京芸術祭ファーム ラボ プロセス発信記事について
東京芸術祭ファーム ファーム編集室のアシスタントライターが、東京芸術祭ファーム ラボのプログラムのプロセスに帯同。東京芸術祭ファーム編集室室長監修のもと、人材育成、教育普及の場である「ファーム」のプログラムについて、活動の実態、創作過程などを発信するものです。
ファーム編集室およびアシスタントライターについて
舞台芸術を伝える言葉は、今、大きな環境の変化に直面しています。 たとえば、舞台上の出来事のみを「成果」として俯瞰し論じるあり方は、近年増えつつある、制作プロセスやコミュニティとの相互関係を重視するプロジェクトには、あまり有効とはいえません。また、SNSの隆盛による情報環境の変化も、「伝える言葉」(とりわけメディアを通した言葉)のあり方に、さまざまな方向から再考を迫っているでしょう。 こうした状況を踏まえ、2022年、東京芸術祭ファーム ラボでは、あらためて舞台芸術を「言葉」にして伝える方法を模索、 探求する「ファーム編集室」を立ち上げました。アシスタントライターは、国際共同制作の現場に併走しつつ、実際に記事を企画し、執筆するプログラムです(参加者は公募により選出)。
東京芸術祭ファーム ラボ ファーム編集室
室長:鈴木理映子
アシスタントライター:
船越千裕 ー東京、大阪
長沼航 ー東京、横浜
関口真生 ー東京
鈴木まつり ー東京、三重