居間 theater「パフォーマンス展望室」レビュー(小泉元宏)

 私たちは、どのように街の中で行き先を決めているのだろう。かつてヴァルター・ベンヤミンが、近代都市の街頭に出現した、フラヌールと呼ばれる目的なく街を遊歩する人々を描く系譜について述べたことはよく知られている。街路の喧騒を観察しながらさまよう人々の意味について、ベンヤミンは注目したのだ。そこには、ともするとヒロイズムな意識が見え隠れするとはいえ、近代社会へと向かう合目的的な発展主義の風潮への懐疑と、それとは異なる生の意義を見つめる鋭い洞察が含まれている。つまりベンヤミンは、社会の展望、すなわち「集団的な夢」が社会全体を覆っていこうとする時代のなかで、行ったり来たり、ぶらぶら歩きまわったりしながら、大勢の目指す方向とは異なる生を模索する人々の姿のなかに重要な意味を見出していたのである。

 以下の文章では、「パフォーマンス展望室」という実践について記していく。この試みは、「東京芸術祭 2023」のプログラムとして、2023年10月21日から29日にかけて豊島区の池袋駅西口にあるロサ会館のR階(屋上)で、人や社会の「展望」を探る体験型プロジェクト作品として開催された。私が記述のために用いる資料は、実地での観察記録のほか、活動を展開したパフォーマンス・プロジェクトである居間 theater のメンバー(東彩織、稲継美保、宮武亜季、山崎朋)により共有された内容によっているが、その中から文脈を切り取り、使用するのは、筆者の判断によるものである。

ありふれた世界都市の中で

 ロサ会館の周辺地域が象徴するように、豊島区、そして池袋が雑多で多文化性に満ちた街であるのは確かだ。国内でもトップクラスの外国人人口比率を誇り、舞台芸術やマンガ・アニメなどの文化振興に注力し、魅力ある「国際アート・カルチャー都市」の実現を掲げてきた豊島区は、「まち全体が舞台の誰もが主役になれる劇場都市」を掲げた文化政策を前面に打ち出してきた。しかし、そこが多様性と差異を受け入れる包摂的なコスモポリスではなく、特定の文化・社会活動の振興と他の民主的諸実践の排除による、一部の優遇される人々が活動するための非公共空間によって構成された、ありふれた世界都市・・・・・・・・・へと急速に向かっている側面について、目が向けられることは少ない。ヴェレーナ・アンデルマット・コンリーは、「コスモポリス」とは、住民がそれぞれの違いを主張しながら、生産的かつ調和的な方法で交渉できる都市のことだといった。それは、「多くの市民を沈黙させる、均質化するグローバル都市とは異なる」(Conley 2002: 129[筆者訳])。しかし、彼女がこの主張を書いて20年ほど経った今、より明らかになってきたのは、各グローバル都市において求められる人々の生と彼らのための社会活動や文化が台頭し、(ときに「心地よいアート」の動員によって!)排除され、塗り替えられてしまう生や文化が消失しゆく状況である。そしてこれは、グローバルな政治=経済システムに基づく問題であるがゆえ、多くの都市が似た政策を掲げており、各グローバル都市の風景が驚くほど近似する状況を私たちは目にしている。「安全・安心」や「みんなのため」、「創造性に基づく持続可能な発展」といったグローバルに囁かれる言葉が実際に示すのは、産業振興など社会的目的に適した人々や文化の優遇と、その他の排除という事実なのだ。創造都市論を牽引してきたリチャード・フロリダすらも、近年、創造都市の問題に言及し始めているのは象徴的である。創造都市を成長させる力は、大都市の不動産価格のインフレや、空間的不平等、分離などを生み出し、他方で周縁地域に貧困を生み出している。「勝者総取り」の都市主義のなかで、金と権力を持つ人々が台頭してしまっている、と創造都市論の精神的支柱であるフロリダが述べざるを得ない状況が広がっている。
 したがって重要なのは、ともすると均質化し、同じ方向を向いて発展を試みる、「勝者総取り」へと向かう街々のなかで、いかに遊歩者の視点を投げかけられるか、ということ、そして、そのような取り組みに私たちが目を向けられるのか、ということだろう。

行ったり来たりする、曖昧な行為

 「パフォーマンス展望室」の試みは、アーティストや研究者など異なる分野の専門家との共同制作に取り組んできた居間 theaterが、パフォーマンスを通じて、今日の都市・社会状況に介入し、人々に社会で生きる感覚を再想像する方法を提示するプロジェクトであると見ることができるのではないか。この試みで居間 theaterは、ロサ会館の屋上階の一角を訪れる来場者が、「展望学者」たちによって提供された話題のなかから一つを選び、「展望学者」や他の参加者たちと共に話すための場を提供した。話題を提起する「展望学者」は、アーティストや文化関係者であったり、研究者であったり、元・行政職員であったりする。来場者たちは、30分程度ずつ、同時に展開する、いくつかの「展望学者」が示した話題のなかから、気になるテーマを選び、おしゃべりや議論に参加するのだ。入退室は自由であり、聞いているだけ、というアプローチも可能である。お茶やコーヒーなどの簡易ドリンクや、たこせん・たこ焼きの販売も行われた小さな展望室のなかには、自分たちが日々を生きるなかでの違和感や関心事について語り合う場、いわば、いくつかの小演劇的な対話の場が開かれていた。企画書のアーティストメッセージで、居間 theaterは次のように呼びかけている。

パフォーマンス展望室のテーマは、その名の通り「展望」です。
展望とは、遠くまで見渡すことを意味します。ただこの作品では、展望ということばを「はっきり
と未来や社会を見通すこと」ではなく、もう少し別の意味で捉えてみたいと思います。
見えないもの、見えるもの、ありそうでないもの、なさそうであるもの。
いまある現実と、かつてあったもの、これからあるもの。
いったりきたり、のぼったりおりたり。
そういったはっきりと定まらない状態や時間のことをあえて「展望」と呼んでみます。
お越しのみなさんにも、ぜひ展望をしていただければと思います。

このような呼びかけは、「都市構想」や「都市計画」といった考え方のありふれた前提に、真率な疑問を投げかける。芸術・文化政策を含む公共政策や、それらをめぐる議論のほとんどが疑問の余地を挟まずに前提としているのは、「政策の期間や目的をあらかじめ提示するべきであり、たとえアートであってもそれに従うべきだ」という考え方だ。都市計画や開発の多くは、「プロジェクト」として(その語源が意味するように)未来に向かって投げかけられるわけだが、その完成図が定められていない・・・ことが許される余地は少ない。都市や地域で展開するアートプロジェクトは、したがって政策目的に従うべき存在だと考えられている。アート・・・、であることよりも、プロジェクト・・・・・・であることが優先されるのである。2010年代以降、「消滅可能性都市」に指定された豊島区を活性化させるための創造都市政策もまた、多かれ少なかれ、都市の発展に対するアートの貢献を述べる立場から評価されてきた。そして学問的議論や批評も、都市振興策に対するクリエイティビティの貢献や、地域活性化策を目的としたアートプロジェクトの是非などを問うてきた。
 一方で、居間 theaterのメンバーたちによる「パフォーマンス展望室」のアプローチがどうかといえば、確かに話題の一部には具体的な目的意識が示されることがあるものの、活動の総体は、やはり展望・・の曖昧さにこそ重きを置いたものである。プロジェクトの相談役でもあった玄田有史らがはじめた「希望学」と、「展望学」との関連について話していくなかで、メンバーの一人である宮武は、次のように語っている。「…はっきりしすぎている物事をあえてぼんやりさせたり、ぼんやりしていることを少しだけはっきりさせる。行ったり来たりするその曖昧な行為を『展望』と呼んでみよう」と。ここには、明確な目的や生き方が理想とされる社会のなかで、異なる考え方や物事への距離感を表出すること、つまりアートが存立することの今日的な困難と、しかし可能性を開くための意志が、よく表されている。

私たちの展望室

 そろそろ私たちは、都市や社会の発展について違った考え方をすべきではないだろうか。金銭を投じなければ楽しむことが難しい公共空間や公園は、果たして誰のためのものなのだろう。少子高齢化が進み、空き家が目立つ街で、いったいなぜ大規模な建造物を、新たにこれほど建てる必要があるのだろうか。何度も繰り返されてきた「集団的な夢」の盲目状態からの目覚めのために、そして、一人ひとりが街路に自由に佇むことができ、あるいは、それぞれの異なる行き先に向けて街を通り抜け、真に「誰もが主役になれる」ための、異なる発展の可能性を試みることが必要なのではないか。
 「展望学者」の一人、春川ゆうきが最終日を終えて書いた「展望室レポート」は、次のような言葉で結ばれていた。

急に始まって、急に終わった展望室。
明日もロサ会館に行ったら、実はまだ展望室はあるんじゃないかと思ってしまう。

均質化したグローバル都市へと進みゆく、池袋、そして現代社会に生きる私たちにとって、必要なのは、はっきりと定まらない状態や時間のなかに置かれた、私たちが生きるための「展望室」を見つけ続けることだろう。ロサ会館にも、そしてあらゆる都市のなかにも、「展望室」は常に存在するべきなのだ。居間 theaterは、そのことの意味、その展望を、私たちに鮮やかに投げかけていった。

ロサ会館屋上から見た池袋北口(筆者撮影)
ロサ会館屋上から見た池袋北口(筆者撮影)
  • 文献 Benjamin, Walter.(1982). Das Passagen-Werk. Frankfurt am Main: Suhrkamp Verlag. (=1993-5, 今村仁司他訳『パサージュ論』(全5巻). 岩波書店.) . Conley, Verena Andermatt. (2002). "Chaosmopolis". Theory, Culture & Society, Vol. 19, Nos. 1-2, 127-138. Florida, Richard. (2017). The New Urban Crisis: How Our Cities Are Increasing Inequality, Deepening Segregation, and Failing the Middle Class, and What We Can Do about It. New York, NY: Basic Books.
    豊島区文化商工部文化デザイン課編. (2016). 『豊島区国際アート・カルチャー都市構想実現戦略』豊島区文化商工部文化デザイン課 (https://www.city.toshima.lg.jp/toshimanow/artculture/senryaku/sakutei.html).

小泉元宏

立教大学社会学部教授
2000 年代を通じて、国際基督教大学(ICU)で音楽、美術を、東京藝術大学大学院で社会学、メディア/文化研究を学ぶ。その後、ロンドン芸術大学、大阪大学、ロンドン大学、鳥取大学等での研究・教育職を経て、現職。専門は社会学、文化政策研究。特に市民参加型の音楽、美術、演劇など諸芸術と、社会形成のかかわりに関する研究・教育・実践に取り組んでいる。近年のプロジェクトに、東京芸術祭「ガチャガチャガチャ」(ディレクション:遠山昇司) における学生との共同リサーチおよび制作協力 、「RE/MAP2.0」プロジェクト(シンガポール国立大学デザイン・環境学部建築学科シモーヌ・チュン・スタジオと共催)など。

パフォーマンス展望室

のぼって ひろげて 望んでみよう、展望室!

構成・演出:居間 theater
相談役:玄田有史

池袋を代表する総合レジャービル・ロサ会館の最上階に、期間限定の展望室がオープンします!
パフォーマンス展望室は、人や社会の〝展望〟を探る場所です。
池袋のまちを片目に眺めながら、それぞれに、またはともに過ごすことができる体験型作品となっています。
さまざまな目的で人々が滞在し行き交う繁華街。再開発に向かう池袋西口。
そんなまちを55年に渡り見守ってきたロサ会館の中に生まれる展望室に、どうぞお越しください。

日程・会場:
2023 年10月 21日(土)~ 29日(日)  ※休室日:10月23日(月)
平日 14:00~20:00 (最終受付 19:30)
土日 10:00~18:00 (最終受付 17:30)

料金:入場無料/予約不要(飲食物等の有料販売あり)

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