東京芸術祭ファーム2023 アシスタントライター プロセス発信記事「プロセスをアーカイヴする:APACとアシスタントライターの意義」新井ちひろ

 Asian Performing Arts Camp(以下、「キャンプ」または「APAC」)は、アジアで活動するパフォーミングアーツの人材が、リサーチやプレゼンテーションを通じて交流し、互いの関心を深めるためのアートキャンプである。2023年度は五名のアーティストが参加した。7月から9月にかけてオンラインでミーティングと中間発表を重ね、10月に東京に滞在してのリサーチ期間を過ごしたのち、10月9日に一般に開かれた成果発表の場、In-Tokyo Sharing Sessionが行われた。
 In-Tokyo Sharing Sessionは東京芸術劇場のアトリエイーストとアトリエウエストで実施された。五人のプレゼンテーションののちに、フィードバッカーの横山義志と市原佐都子を迎えてフィードバック・セッションが行われた。

はじめに:アシスタントライターの意義

 筆者は、アシスタントライターとして、8月上旬から10月にかけてキャンプの活動に帯同した。キャンプの全日程を終えて思うことは、アシスタントライターが時間をかけてキャンプに並走する存在であることの重要性だ。オンライン・ミーティングや東京滞在中のリハーサルを通じてアーティストたちの関心がどこにあるのかを知り、オーディエンスとともにIn-Tokyo Sharing Sessionのプレゼンテーションに参加し、フィードバッカーとのディスカッションを聞き、さらにアーティストとファシリテーターへのインタビューも行った。それらのプロセスを振り返ると、アーティストが別々の場所――たとえば中間発表とインタビューなど――でこぼした言葉同士の結びつきが見え、彼や彼女の考えがよりよく理解できるように感じる。アーティストたちが試行錯誤の中で模索しようとしたものが何だったのかが、立体的に浮かび上がってくる。奇しくも、昨年のインタビュー記事の中で、東京芸術祭ファーム2022共同ディレクターの長島確が次のように述べている。
 「プロセスにおいて使い捨てられている大量の言葉があります。例えば、演出家によるいろいろな指示、俳優からの鋭い質問、準備の打ち合わせでの濃いやり取りとか。」「……クリエーションにとって不可欠だけれど消えてしまう、プロセスでの言葉は、いったん作品が出来上がってしまうと誰にも省みられず、直接関わった人しかアクセスできない。」
 パフォーミングアーツ作品は、企画からリハーサル期間、本番へというプロセスの上に成り立っている。本番が始まってからも、修正が加えられる場合もある。ゆえに、作品を言葉で紹介する立場であるライターもまた、そのプロセスにじっくりと付き合う必要がある。
 筆者は、東京滞在の期間中、すべてのリサーチやリハーサルに帯同できたわけではない。ゆえに、筆者が見つけた、キャンプの活動期間全体に散らばった「プロセスの言葉」同士をつなぐ線たちは、ひとつひとつは小さくささやかなものである。それでも、出来上がった作品を鑑賞して書くような従来の批評とは違う、プロセス帯同型のアシスタントライタープログラムならではの視点をこの記事が提供出来ていたら幸いである。

In-Tokyo Sharing Sessionを振り返る

花形槙 「亡き祖母について」

 彼のプレゼンテーションは、In-Tokyo Sharing Sessionの直前に他界した祖母と病院で面会したときの経験をベースとしている。祖母の命が尽き、その体がただの「モノ」になっていく瞬間をなぞるパフォーマンスだ。会場には祖母の代わりに、花形自身が横たわっている。観客は面会シートを渡され、患者名の欄に花形の祖母の氏名を、面会者名の欄――本来は観客自身の名前を書くはずのスペース――に花形の氏名を記入するよう伝えられる。花形が病院で体験した場面を、観客が疑似的に体験する仕掛けだ。
 筆者が部屋に入った時、観客はベッドを遠巻きに囲むように円形に立っていた。その輪から中心へ歩み寄って、花形の肩に、頭に触れる人たちもいた。心電図モニターの音が響く薄暗い部屋は、心なしか肌寒く、簡易的なベッドを設置しただけの空間が見事に病室の雰囲気をまとっていた。
 花形はフィードバック・セッションのなかで「僕は僕のためにこのパフォーマンスをやった。それに(観客を)付き合わせてしまうことの申し訳なさもありつつ、一方で観客の反応を受けて色々な思いが頭の中に浮かんでしまう自分もいた。(死ぬ瞬間をなぞっているはずなのに、)いやおうなく生きていることを感じた。」と述べた。彼の言葉には、ごく個人的な動機をそのまま作品にすることへのためらいが感じられる。一方で、観客の存在が作品を成立させるという、パフォーミングアーツの根本的な側面にも触れている。筆者から見ても、たとえばベッドを取り囲む観客の輪を離れて花形に触りに行く行為には、観客であるはずの自分が他の観客から見られる対象になるという緊張感が伴っているように思えた。花形に触れた人たちは、観客であると同時にパフォーマーであったと言えるかもしれない。

スジャトロ・ゴッシュ 「野生化と奪還のためのマニフェスト」

 花形のプレゼンテーションと連続するかのように、こちらの部屋も薄暗く照明が落とされている。水の音、動物の鳴き声、蚊の音などの環境音が流れている。部屋の中にバラバラの向きで置かれた椅子に観客が座ると、まずゴッシュが今回のプレゼンテーションについてのステートメントを読み上げる。壁には「野生化と奪還のマニフェスト」が吊り下げられており、観客は部屋のなかを歩き回りながらマニフェストを読むことになる。
 ゴッシュが読み上げたステートメントは、環境破壊や自然災害などの問題を提起した。しかしマニフェストのほうには、より広く想像力を働かせる余地がふんだんに含まれている。魚や動物の視点で書かれたマニフェストは、具体的な環境問題について論じるというよりも、文明の終末後の地球という空想上の世界に観客を連れ出すかのようだ。マニフェストに目を通しながら、野生生物の語る言葉に耳を傾けている心地になる。
 バラバラに配置された椅子は、アナーキー状態を意識しているとゴッシュは言う。また、椅子が散らばっていることで、アトリエのなかを動く観客の動きがゆったりとしたものになっていた。観客のなかには、マニフェストを読む手元を照らすためにスマートフォンのライトを点けている人々もいる。環境音の流れる薄暗い部屋の中を、スマホの光を手に持った人々がゆっくりと歩く様子は、懐中電灯を持って洞窟の中を探索しているようでもあった。

薛祖杰 The Zone

 薛のプレゼンテーション”The Zone”では、LINEアプリが使用された。観客はLINEを通じて質問を受け取る。回答を送信すると、その内容に応じた指示や音声(薛が東京滞在中に池袋で集めた音声が使われた)、周波数などが再び観客の手元に送られる。薛は過去に台湾でもThe Zoneのパフォーマンスを行っており、同じ枠組みを都市ごとの素材を使って繰り返し、発展させられる仕組みになっている。
 観客は言葉を交わさないまま、スマートフォンを通じて与えられた指示に従って部屋のなかを歩き回り、立ち止まり、手を挙げる。時にはLINEに送られてきた音声を再生し、部屋のなかがざわめきで満たされる。一人一人の行動原理――この場合はスマートフォンに送られてくる指示――は本人にしかに見えず、全員で共同して何かをやっているという感覚も希薄だ。にもかかわらず、観客たちの行動が部屋の中を満たし、独特の空間を作り上げる。その様子は、都市の縮図のようにも見えた。つまり、街中を歩く人々はお互いの背景(なぜ、どこから来て、どこへ行くのか)を知ることはなく、表面的には無関係に活動しているのだが、そうしたバラバラな行動が合わさってこそ都市が作り上げられている。薛はフィードバック・セッションのなかで、「ZONEでは〈今ここで起こっている目に見えないことを作る〉っていうのをやりたい」と語った。たしかに、この時のアトリエイーストでは目に見えない、説明しがたい何かが起こり、観客全員が構成要素となって一つの空間を形成していた。

大貫友瑞 「私たちは近づこうとしたり離れようとしたりする」

 大貫のプレゼンテーションは、身体が持つ二面性、すなわち空間から影響を受けて誰もが似たような行動をとる瞬間があることと、その一方で一人一人の身体が独自の癖を持っていること、をテーマとしている。例えば、ホームから階段を下りて改札を通るまでの道のりは駅の建物に規定されているが、改札にタッチするやり方、人混みを通り抜けるやり方は人それぞれ微妙に違う。プレゼンテーションでは、池袋駅でのリサーチを通して集めた「誰かのクセ」を、二名のパフォーマー(今井亜子、山田楽々)が真似し、パフォーマー自身の身体と「誰か」の身体のズレを見せることを目指した。
 フィードバック・セッションでは、大貫が作品の今後の発展にも言及した。今回は他者の身体を模倣し、そこへ近づくプロセスを見せた。そのうえで、今後は他者の身体から自分の身体に戻ってくるときの感覚、他者の身体をなぞることを経て自分の身体を見つめなおす過程も射程に含めた作品を作りたいと考えているようだ。
 大貫の作品は言語的な情報の少なさが特徴的だった。冒頭でパフォーマンスのテーマについて説明があったものの、おそらく大貫は意識して多くを語りすぎないようにしていた(同じく言葉を使わないパフォーマンスを行なった花形の場合は作品背景を説明するレジュメを配布したが、大貫は口頭での説明に留めた)。最もミニマルな形で体を意識するために、パフォーマーの身体と池袋で観察した他者の身体だけを提示しようという意図が感じられた。

莊義楷 「クィア・ユートピア」

 莊はプレゼンテーションを二部に分け、前半ではアジアのクィア・コミュニティにとってのユートピアを想像するパフォーマンスを行った。クィア・コミュニティにかんする短い文章を観客が読み上げ、それに合わせた即興のダンス・パフォーマンスが展開する。観客が読む文章の引用元は、莊によるインタビューや、ニュース記事、文学作品などさまざまだ。しかしそのどれもがクィアの人びとが生きる社会についての言葉であり、その言葉を観客自身が声に出し、それをお互いが聞くことで、一種のドキュメンタリー的な小品を作ることを目的としている。観客による読み上げに合わせてパフォーマンスをするのは莊と大貫の二人だ。プレゼンテーションの後半では、東京でのリサーチの内容とそれが今回の作品に与えた影響が説明された。
 莊は「話すことと聞くことはコミュニティを作るうえでの大きな要素である」と言う。フィードバッカーの横山も、フィードバック・セッションのなかで「(台湾での同性婚成立についての文章を)声に出して読み上げるだけで、自分もその瞬間に居合わせているような気持ちになった」と述べた。ここにはパフォーミングアーツの持つ力が示唆されているように思われる。8月23日に行われた東京芸術祭ファームの公開レクチャーにおいて、レクチャラーの林立騎氏はドイツの演劇学者ハンス=ティース・レーマンの「演劇の最大の発明は日常生活には存在しない場面を作り出し、日常生活では聞こえてこない声を響かせて、観客がそれを聞いたこと」という言葉を引用した。クィア・アイデンティティを持つ人々は未だマイノリティの立場に追いやられ、その声がなかったことにされる場面も多くある。そんな声をみんなで響かせ、聞く時間を、莊のプレゼンテーションは作り出していた。

五人が集うこと

 五人はそれぞれ独立したプレゼンテーションを行ったが、一緒に時間を過ごす中で影響を受け合ったと感じているようだ。莊はフィードバック・セッションで、「薛からはオーディエンスへの話しかけ方を、花形からは生っぽさを、大貫からは身体で応答することを、スジャトロ(ゴッシュ)からは権力構造の見方を、それぞれ影響を受けた」と語った。薛のリサーチには花形が帯同し、ゴッシュのプレゼンテーションの照明操作は大貫が手伝った。
 莊のプレゼンテーションには、大貫がパフォーマーとして参加した。フィードバッカーの市原佐都子は二人のコラボレーションを指して、「国際共同制作を仰々しく掲げなくてもコラボレーションが自然に起こったこと、必要な手伝いを近くにいる人が自然にやっていることが、この作品を希望あるものにしている気がした」と述べた。
 キャンプの期間を過ごすうちに、五人の関心の違いや共通点も見えてくる。たとえば、薛とゴッシュの日本へのイメージの違い。薛は池袋という都市をリサーチし、そこに生きてきた人々の歴史(闇市があったことなど)に興味を引かれたという。一方でゴッシュは、東京を訪れる前から、『となりのトトロ』などのスタジオジブリ作品に影響を受けた日本のイメージを持っていたと語った。野生生物の言葉を借りた「野生化と奪還のためのマニフェスト」には、日本文化の中の自然とファンタジーに惹かれる彼らしさがうかがえる。
 参加者同士が感じた、互いの共通点としては、たとえば他者との関係性が挙げられる。花形と大貫はそれぞれ、我々アシスタントライターによる、キャンプ参加アーティストへのインタビューのなかで以下のように語った。

花形:「広い意味での他者との距離感っていうものが、共通点としてあるなと思いました。」
大貫:「花形さんが言ってたみたいに、興味のリンクするところもそれぞれある気がします。例えば私と薛だったらサイトスペシフィックなこととか。(中略)パフォーミングアーツには自分が自分じゃないものに近づいていく、たとえば他人の身体に近付いていく、そういう機能があると思っているからで。だから花形さんの『モノとか樹木とかになる』っていうアイデアには共感します。」

 大貫の言う「自分が自分じゃないものに近づいていく」こととは、彼女がプレゼンテーションのなかで行った他者の身体にパフォーマーの身体を接近させる試みと、花形が祖母の立場に自分を置き換えたパフォーマンスとが持つ類似性のことだろう。

 アーティストたちはキャンプを通じた交流やIn-Tokyo Sharing Sessionの観客の反応についても語ってくれた。詳しくはインタビュー記事を参照されたい。

アーカイヴを残すこと

 本記事は、Asian Performing Arts Camp2023の活動を外部に発信するとともに、アーカイヴとして残す役割も担っている。記録が残るということは、人間の営みにとって本質的なことだ。どんなコミュニティの形成にも、理由や目的があり、またそれを実現する過程では、思いがけないきっかけで加わったり切り捨てられたりする要素がある。あらゆる組織や、人の集う場は、そうした様々な過程を経て現在の姿になり、私たちの前に現れる。
 今目の前にあるものを、そのまま維持するにせよ、変えていくにせよ、「それ」が今の形になるまでの歴史を知らなければ、先人と同じ失敗を繰り返すことになりかねない。それはまるで、積み木の塔の一番下の段を作っては壊すばかりで、いつまでもその先を積み上げられずにいるようなものだ。だからこそ、記録を残す必要がある。
 同じことが、東京芸術祭ファームにも言える。私が自分の目と耳を使ってプログラムに並走したのは2023年の7月末から10月までの短い期間でしかない。けれど、間接的に過去を知ることは可能だ。数年前からキャンプに携わってきたジェームズ・ハーヴェイ・エストラーダと山口惠子にインタビューをすることで、二人から見たコロナ禍以降のキャンプの変化と現在地、今後の課題を聞くことができる。あるいは、去年のアシスタントライターが書いた東京芸術祭ディレクターへのインタビュー記事を読んで、東京芸術祭ファーム全体が期待されている役割を知ることができる。
 その年ごとの参加者たちのテーマから立ち現れる固有の議論と、ファームが歩んできた歴史のなかで掲げられてきた理念や目標。その両方がキャンプのあり方を語るうえでは重要で、だから毎年の記録を残して積み上げていく仕組みが必要なのだ。昨年度のアシスタントライターたちのプロセス発信記事や、東京芸術祭ファームの前身であるAsian Performing Arts Farmのアーカイヴは、東京芸術祭のホームページから見ることができる。

APACとアシスタントライターの今後

 アシスタントライタープログラムの今後について。このプログラムが今後も継続し、あるいは別の現場にまで拡大してゆくことができたら素晴らしいと思う。筆者は大学院で19世紀の舞台作品の研究をしているが、過去の作品について、その作り手や演じ手がなにを考えていたかを知ることのできる資料はとても少ない。仮に資料が残っていても、伝記という形で上演後時間が経過してから振り返っている場合もある。
 作品を論じるにあたって、作り手側の考えが「正解」というわけではないが、作り手、批評家、一般観客のそれぞれの考えが十分に集まることで見えてくるものもある。アシスタントライターのような、作品が生まれる最初のプロセスに付き添うライターの存在が増えていけば、数十年後、数百年後にいまの日本の舞台芸術を振り返るうえで意義深いものになるだろう。
 最後に、昨今の世界情勢とAsian Performing Arts Campの今後について。今年のIn-Tokyo Sharing Sessionの2日前にあたる10月7日、イスラエル軍によるガザ地区への攻撃が始まった。理不尽に命が奪われる状況を前に、舞台芸術ができることなどあるのかと無力感にさいなまれるばかりだ。そして日本社会もまた、ガザ地区の状況と並べられるものではないが、経済的にどんどん苦しい状況に陥っている。苦しい状況になればなるほど、まずは自分と周りの人の生活を守りたいと思ってしまうのが人の性かもしれない。その時に、大切な人を守りたい気持ちが他者への攻撃に転じないために、余裕のなさが不寛容へとつながらないために、他者との交流の場が維持されることには、確かに意味があるだろう。APACは東京芸術祭全体の中では比較的小さく、目立たないプログラムだが、内部では豊かな交流が行われている。今年の参加者の五名が互いに影響を受け合いながら過ごした様子は、本記事とMediumに掲載されたインタビュー等で発信してきたつもりである。
 東京芸術祭2023の総合ディレクターを務めた宮城聰は、In-Tokyo Sharing Sessionの最後に「こういう機会が途絶えないように、また拡大していけるように、自分にできることは続けていこうと思った」と語った。来年以降もこのキャンプが豊かな交流の場を提供することを筆者も期待している。

東京芸術祭ファーム ラボ プロセス発信記事について

東京芸術祭ファーム ファーム編集室のアシスタントライターが、東京芸術祭ファーム ラボのプログラムのプロセスに帯同。東京芸術祭ファーム ファーム編集室室長監修のもと、人材育成、教育普及の場である「ファーム」のプログラムについて、活動の実態、創作過程などを発信するものです。

ファーム編集室およびアシスタントライターについて

「いま、ここ」という現実の時間の中で展開される舞台芸術を、そのままの形で記録・保管するすべはありません。とはいえ、流れ去る「いま、ここ」を記録にとどめ、歴史と接続することなしに、表現の未来を開拓することはできません。創作プロセスや周辺のコミュニティとの関係に寄って立つ企画も増えつつある近年、舞台芸術をどのように記述し、記録していくか、アーカイブへの関心はいっそう高まりつつあります。もちろん、芸術的な事象や体験を、言葉で記述し、伝達しきることも不可能です。それでも「言葉で言い表せない」ものごとに「言葉」で向き合おうとすることで、私たちは、新たな思考や対話、さらなる創造へのステップを生み出してきたのではないでしょうか。
「ファーム編集室」は、舞台芸術が生み出され、観客(参加者)に届けられるプロセスに「書く」「記録する」ことを通じて参加し、より豊かな舞台芸術の文化を掘り起こし、育てるプログラムです(参加者は公募により選出)。

東京芸術祭ファーム ラボ ファーム編集室

室長:鈴木理映子

アシスタントライター:新井ちひろ、石川祥伍