野外劇『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』
玉川大学・日本大学合同座談会レポート
玉川大学・日本大学合同座談会レポート
10月21日、池袋西口公園野外劇場にて上演された『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』を観劇した玉川大学および日本大学の学生による座談会が開催された。
座談会は、本会場(東京芸術劇場6階のミーティングルーム5)と同劇場地下1階ロワー広場のリモート会場の2箇所をつないで行われた。本会場の座談会には、玉川大学芸術学部より6名、日本大学芸術学部より5名の学生と、玉川大学の多和田真太良先生、日本大学の藤崎周平先生が参加。司会は多和田先生が務めた。
また、リモート会場には約40名の学生が集まり、本会場の座談会を視聴しながらウェビナーで議論に加わった。ロワー広場には学生だけでなく、着替えが終わった出演者や一般の観客も一緒に参加していて、お祭り広場的なにぎやかさだった。この他、自宅等からこの座談会をリモートで視聴し・チャット参加した学生も数名いた。
全部で50名以上の学生が参加した座談会は、和やかな雰囲気で進みつつ、大学で演劇を学ぶ学生ならではのユニークな視点からの意見が飛び交った。
座談会は、本会場(東京芸術劇場6階のミーティングルーム5)と同劇場地下1階ロワー広場のリモート会場の2箇所をつないで行われた。本会場の座談会には、玉川大学芸術学部より6名、日本大学芸術学部より5名の学生と、玉川大学の多和田真太良先生、日本大学の藤崎周平先生が参加。司会は多和田先生が務めた。
また、リモート会場には約40名の学生が集まり、本会場の座談会を視聴しながらウェビナーで議論に加わった。ロワー広場には学生だけでなく、着替えが終わった出演者や一般の観客も一緒に参加していて、お祭り広場的なにぎやかさだった。この他、自宅等からこの座談会をリモートで視聴し・チャット参加した学生も数名いた。
全部で50名以上の学生が参加した座談会は、和やかな雰囲気で進みつつ、大学で演劇を学ぶ学生ならではのユニークな視点からの意見が飛び交った。
客席は寒いのに舞台上は熱かった!
──まず最初に、皆さんの率直な感想を聞いてみましょう。
口火を切ってくれたのは、韓国から留学してきた大学院生。
院生僕はこの作品を観て、日本人の心の深いところを感じることができました。たとえば、今オリンピックを無理やりにでも開催しようとする理由も理解できたような気がします。いっぽうでこの作品を池袋のど真ん中で野外劇として上演する必要があったのかな?という疑問もわきました。私たちは寒いのに舞台上は熱い(笑)、舞台との温度差を感じてしまいました。
藤崎先生からの補足説明が入る。
藤崎ちなみに韓国は野外劇が盛んな国で、最後は観客もみんな歌って踊って終わるという参加型です。彼は、それと比べて残念な感じがした、ということでしょう。
学生「私は『寒いのに熱い!』と感じました。舞台から伝わってくるエネルギーがすごくて、受け取る側にもエネルギーが必要だなと思います。私の地元にも野外劇場があるけれど、そこは自然に囲まれていて雰囲気が全然違うんです。都会の『日常』と演劇という『非日常』が同時に見えるのが面白かったです」
「音で結界を張りたい」と考えた
ここで音楽の不破大輔さん、演奏(パーカッション)の柴崎仁さんが本会場に登場。柴崎さんは玉川大学のOBだ。
不破この作品は鳥取でも上演したのですが、池袋と鳥取では環境が全然違います。鳥取はのどかで背景には山が見えるし、静かだから芝居に集中できる。ところが池袋はいろんなノイズがすごいだろうと予測されたので、『音で結界を張りたい』と考えました。楽器の編成も変えてギタリストに入ってもらい、ノイズギター的な音を奏でてもらいました。
柴崎池袋では、ふとした瞬間に『カラオケ』とかいうネオンの文字が目に入っちゃうんですよね。そんな空間の中でバリアを張ってあげるようなイメージで演奏しています。
(ロワー広場の大学院生からの質問)
院生最後に『みんなからっぽ』と連呼する歌が流れますが、このときに客席が手拍子するのがすごく怖かったです……僕たちは試されているのか?と思ったのですが、どうなのでしょう。
──演出的な想定は何かあったのでしょうか?
不破演出家からのオファーはありません。芝居が終わると歌詞もサウンドになるということでしょう。手拍子をすると自分の『空っぽ』さえ楽しくなるかもしれないですね。
──学生の皆さんは「音楽の結界」についてどう感じた?
学生不破さんのお話に納得しました。確かにお芝居の最中には『カラオケ』の文字は目に入ってこなかったです。その分、ラストシーンで音が消えるのも、まるで劇場空間が開けていく感じがして効果的だなと思いました。
「からっぽ」というキーワードを考える
ここで、上演台本・演出の中島諒人さん、フクダ役を演じた川鍋知記さんがロワー広場に登場。川鍋さんは日本大学芸術学部出身で、藤崎先生は恩師なのだそうだ。
中島『からっぽ』という言葉は、日本人がずっと気にしてきた言葉なんです。明治維新以来、日本人は『自分たちが作り上げてきたものは、じつは何もかも借り物なのでは?』というコンプレックスをずっと抱えてきました。それを1988年時点での課題意識で如月さんが描いたわけですが、今の皆さんはどうですか? でも『自分たちはからっぽなのでは?』と感じることは悪いことではないし、そう感じるのは日本人に限らないかも知れない。じゃあ何を満たしていけばいいかを一人ひとりが考えていけば良いことで、この舞台が考え始めるきっかけになればいいなと思います。
──ここにいる皆さんは何らかの形で舞台芸術にかかわりながら生きて行こうとしている人たちだと思いますが、今年はそんな皆さんの中で急激に「からっぽ」になってしまったものもあるのでは? 劇中に「これは時代と私のタッグマッチよ! 10年、20年後に振り返ってみせる」という印象的なセリフがありましたが、皆さんはどう受け取ったのかな?
学生僕は観終わった瞬間に『生きるって何?』とシンプルに思いました。演劇は明日を生きるエネルギーをくれるものだと思ってきたけれど、でも『明日』を生きるエネルギーしかくれない、一過性のものかも知れないと考えると怖くなりました。じゃあ、そんな演劇にかかわる僕は何のために生きるのか? 結局今は、自分のために生きることが誰かのためになるし、逆に誰かのために生きることが自分のためになることもあるのだと考えています。
ロワー
広場の
学生どんなに自分を満たそうとしてもどんどん外に流れ出ちゃうので『からっぽ』はなくならないのでは? そうやってエンドレスに欲望を満たそうとするのが人間ではないかと思います。
広場の
学生どんなに自分を満たそうとしてもどんどん外に流れ出ちゃうので『からっぽ』はなくならないのでは? そうやってエンドレスに欲望を満たそうとするのが人間ではないかと思います。
作品の「問い」に対してどう応えるか
──「応援」と「和」についても聞いてみたいと思います。この作品は周囲の皆がカズオを応援する物語なわけですが、今は「推しの文化」などと言われる時代です。ところが、推された側が追い詰められて後に引けなくなっていくという、カズオと似たような状況は皆さんにもあるのでは? たとえば、ずっとお芝居をやってきた人が「普通の会社に就職します」と決めた途端に周囲が「ふーん…」となるのが怖い、とか。
学生この作品の主人公は、皆は『マラソンをしている自分』を応援してくれているのであって『自分自身』を応援してくれているわけではないという葛藤があったのではないかと思います。私も『演劇』が好きなのか、もしかすると『演劇をしている自分』が好きなだけではないかを、すごく考えます。つまり『演劇をしている自分』が周囲に認められることが自己顕示欲に繋がっているのではないか、と。
──それでは、この作品を初演(1988年)の頃に観ている人はどうだったのでしょう? 藤崎先生、いかがでしょうか?
藤崎初演を観たのは世田谷美術館の野外劇場でしたが、それから今日に至るまでの32年間『お前は何をしていたのか』を問いかけられたような、まるで引っぱたかれたような感じがしましたね。でも、それが演劇を楽しむということでもあると思うんです。そうやって自分の内側に深く入り込んでいく部分と、『拍手』のように外に発散していく部分、その両義性があるのが演劇です。この作品は如月小春さんが『昭和の清算』として書いた作品ですが、それを中島さんが『CHA! CHA! CHA!のリズム、今はどう聞こえる?』という問いかけをされたということだと思います。
──最後に、ロワー広場にいらしている演劇評論家の鴻(おおとり)英良先生からも一言お願いします。
鴻この作品は『からっぽ』であることについて観客に問いかけると同時に、作者である如月さんが自分自身にも問いかけた作品でもあります。実際この作品の後、如月さんはより広く様々な活動を始めます。その一つがアジア女性演劇会議の開催でした。その準備の最中に亡くなられたので、如月さん自身は残念ながら会議には出られなかったのですが…私もそのお手伝いをしていたので『まさにこの作品の問題提起に応えることをされていたのだな』と、いろいろなことを思い出しました。
──『如月小春は広場だった』という書籍も出ていますが、まさにこうして議論が広がることが如月さんならではですね。作品の「問いかけ」に対して自分がどう応えるかを語り合うことはとても大切です。これが屋外で上演されることで新しい出会いも生まれて、語り合いの輪がさらに広まっていくのかも知れません。
文:中本千晶(ライター)