Tokyo Festival Program

The New Gospel – 新福音書 – 

by ミロ・ラウ

  • オンラインプログラム
  • 映像
  • 演劇
終了

日程:11月13日(土)〜11月28日(日)

場所:オンライン配信

言語:イタリア語/フランス語/英語(字幕:英語/日本語)

作・監督:ミロ・ラウ
プロダクションカンパニー:
フルーツマーケット・アーツ&メディアGmbH
ラングフィルム/ベルナルド・ラングAG

現代に問いかける、連帯と革命のための受難劇

演劇を用いて現実に起きた事件や事象と向き合う劇作・演出家、ミロ・ラウ。映画監督、ジャーナリストとしても活動する彼が、パゾリーニやメル・ギブソンがキリストの物語を撮ったロケ地・南イタリアのマテーラを舞台に、今日的な「福音」の映画をつくりあげた。 キリストを演じるのは、カメルーン出身の政治活動家イヴァン・サニェ。マテーラでは農場労働での搾取を始め、多くの移民が非人道的な扱いを受けており、映画では、サニェと移民たちが参画する人権運動「尊厳の反乱」の様子と、彼らと一般市民、俳優らが演じるキリストの受難の物語とが併行して描かれる、現代文明とそこに生きる者の人間性とを鋭く問う、町ぐるみの受難劇。

トレイラー

解説映像

上映時間

105分

視聴方法

視聴券:1,500円(税込)
発売日:8月29日(日)
視聴券取扱:Vimeoオンデマンド(VOD)


*配信、決済にはVimeoオンラインを利用しております。ご視聴にはVimeoの無料会員登録が必要となります
*ストリーミングでのご視聴となります。お支払い後、視聴期限内にご鑑賞ください。作品映像をダウンロードすることはできません
*視聴期限は、ご購入手続き完了メールが到着後、「今すぐ鑑賞」ボタンを押してから72時間以内です
*この作品は日本国内でのみ視聴可能です

プロフィール

Photo: Hannes Schmid

ミロ・ラウ

スイス出身の演出家、作家、映画監督。2018/19シーズンから、NTヘント劇場の芸術監督に就任。ピエール・ブルデュー、ツヴェタン・トドロフのもとでパリで社会学を、ベルリンでドイツ語とロマンス語を、チューリッヒで文学を学ぶ。02年以降、50以上の演劇や映画、書籍を創作し、さまざまなアクションも展開。テアター・トレッフェン、アヴィニヨンフェスティバル、ヴェネツィア・ビエンナーレなどの国際フェスティバルに参加し、30カ国以上で作品を発表している。『Das Kongo Tribunal(コンゴ裁判)』(17)などの映画作品も評価が高く、数々の賞を受賞している。
www.ntgent.be

コラム(文・金子 遊)

『The New Gospel –新福音書–』に寄せて

 「すべての映画はドキュメンタリーである」といったのは、スイス人の映画監督であるジャン=リュック・ゴダールだった。なぜなら劇映画といえども、カメラの前で俳優が演じる姿を撮影したドキュメンタリーにすぎないからだ。虚構か現実か、劇映画かドキュメンタリーか。二者を完全に分かつことなどできないのに誰もがこの二項対立にこだわるのだが、ゴダールの言葉はその区別を無化しようとする。

 同じスイス人のミロ・ラウが撮った『The New Gospel –新福音書–』は、凝りかたまった頭をあらゆる角度から揉みほぐしてくれる先鋭的な映像作品だ。本作における「虚構」と「現実」は、幾重もの襞のように複雑に折り畳まれている。そもそも国際的に活躍する演出家のラウが、映画監督やジャーナリストでもあるので事は複雑になる。彼は実際に起きた事件や事象を演劇に取りこむ、ドキュメンタリー演劇的な手法を活用することが得意だとされる。そんな彼が、演劇をつくるプロセスを作品内に取りこんだドキュメンタリー映画が本作なのだが、その言葉でもまだ、うまく形容できていない気がする。

 本作では「虚構」と「現実」は、メビウスの輪のようにくるりくるりと優雅にひるがえる。映画の冒頭、イタリア南部にある渓谷の町マテーラを見渡し、ミロ・ラウは「ここはパゾリーニが『奇跡の丘』(1964)を、メル・ギブソンが『パッション』(2004)を撮影したロケ地だ」と説明する。エルサレムに地形が似ている町自体が、現実の上にもう一枚、虚構のヴェールをまとっているのだ。『The New Gospel』をありていに説明すれば、ラウがこの町でつくった「マタイによる福音書」の舞台の記録映像と、そのメイキング映像、そして、マテーラの町が抱える移民問題をあつかうドキュメンタリー部分という三つの要素から成り立っている。

 しかし、演出家は「虚構」と「現実」を何度もよじってみせる。たとえば、パゾリーニの『奇跡の丘』はキリストの受難劇を克明に描いた名作として知られ、マテーラの一般住民たちが多く俳優として参加した映画だった。それを踏襲して、ラウもまた町が抱える社会問題をみずからの演劇プロジェクトへと大胆に取りこむ。主演のイエス役に、季節労働者の地位向上運動をするカメルーン人活動家のイヴァン・サニェを迎え、イエスの使徒たちの役に、アフリカ系の人たちをキャスティングした。なぜなら、町ではマフィアの主導によって不法移民がトマト農場で奴隷のように使役させられ、さらに彼らは居住するゲットーからの立ち退きを迫られるという社会問題が生じていたからだ。

 『The New Gospel』の前半では、アフリカ系の出演者を中心にイエスの受難劇をつくっていく様子が、移民のドキュメンタリー部分と並行して描かれる。観ていると、劇中劇において迫害されるイエスや使徒たちの姿が、イタリア社会で歓迎されないアフリカ系難民の境遇と二重写しになってくる仕掛けだ。中盤あたりで、イエス役のイヴァン・サニェと使徒たちはローマ時代の衣裳を着たまま、移民排斥に反対するデモをおこない、街中で集会をする。フィクションの人物が、現実社会のなかに移行する場面である。彼らはフェアトレードを訴え、スーパーマーケットに陳列されたトマトを床にぶちまけ、足で踏みつける。この行動は難民たちの人権を訴える「尊厳の反乱」と呼ばれる。

 その一方で、映画の後半は悲痛なトーンに変わる。パゾリーニの映画で使われたエルサレムの屋外セットを、マテーラの市民がエキストラとして歩き、黒人のイエスは十字架を担いでゴルゴダの丘をのぼる。福音書の物語の再創造であり、『奇跡の丘』の現代的な語り直しであるこの場面を、観客は映画前半のドキュメンタリー部分を観た記憶を重ねあわせて観ることになる。つまり観客の内側で、2000年前の「虚構」の物語と、21世紀における「現実」が互いに溶けあうのだ。しかも、イエスが磔刑になるシーンでは、現代の聴衆がビデオカメラやスマートフォンを構える姿がカットバックでつながれ、撮影の風景は街頭劇のように扱われる。カメラの前で起きているのは映画の撮影なのか、それとも街頭での演劇行為なのか。わたしたちが観ている映像は、劇映画の一場面なのか、舞台の記録にすぎないのか。どちらとも断定できないかたちで、その映像を受けとることになる。

 確かにいえるのは、『The New Gospel』が演劇とドキュメンタリーのあいだに、新たな関係性を構築しようとしていることだ。ミロ・ラウが「虚構」と「現実」を溶解させる手つきは、冒頭にあげたゴダールの言葉とはちがい、街頭劇や異化効果のような演劇的なコンセプトから発想されているのだろう。本作は、ジャンル的にはフィクションを取り入れたドキュメンタリー映画であるが、隅々にまで演劇的な企図が行き渡った作品にもなっている。そのことが、この先鋭的な作品を魅力的にさせている理由のひとつである。

出演:イヴァン・サニェ/パパ・ラティア・フェイ/サミュエル・ジェイコブス/ユシフ・バンバ/ジェレミア・アクヘレ・オグベイデ/ムバイエ・ンディアイエ/カディル・アルハリ・ナシル/アリ・ヴィト・カストロ/マリー・アントワネット・エヤンゴ/アンソニー・ンワチュクウ/モハメッド・ソウレマン/アレクサンダー・クワク・マルフォ/ブレッシング・アヨモンスル ほか多数

マルチェロ・フォンテ/エンリケ・イラゾクイ/マイア・モーゲンスターン

声・歌:ヴィニーチョ・カポッセラ

発案・作・監督:ミロ・ラウ
プロデューサー:アーン・ビルケンシュトック/オリヴィエ・ゾブリスト/セバスティアン・レムケ
フォトディレクター:トマス・エーリヒ=シュナイダー
ドラマトゥルグ・編集:カトヤ・ドリンゲンバーグ
ドラマトゥルグ・コンセプト:エヴァ=マリア・バーチー
ドラマトゥルグ・アシスタントディレクター:ジャコモ・ビソルディ
セットデザイン・衣装:アントン・ルーカス/オタヴィア・カステロッティ
オリジナルサウンド:マルコ・トイフェン/ジュリアン・ジョセフ
サウンドエディティング:グイド・ケラー/ディター・レンガシャー
プロダクションマネジメント:エリサ・カロシ/ラリッサ・ストーン


字幕翻訳:宮内奈緒(arts knot)

配信コーディネート:戸田史子、宮内奈緒(arts knot)
アドバイザー:西尾祥子(arts knot / (株)システマ)

主催:東京芸術祭実行委員会〔豊島区、公益財団法人としま未来文化財団、公益財団法人東京都歴史文化財団(東京芸術劇場・アーツカウンシル東京)〕

助成:令和3年度文化庁国際文化芸術発信拠点形成事業

問い合わせ

東京芸術祭事務局
TEL: 050-1746-0996(平日10〜18時)