アートトランスレーターアシスタント 通訳・翻訳が担うコミュニケーションづくりとは?

東京芸術祭における人材育成プログラム、ファーム内のインターン(研修)プログラムの一つが「アートトランスレーターアシスタント(ATA)」。舞台芸術の現場において通訳・翻訳を行う人材の育成を担うことを目的に、2020年に始動したばかりの新しい試みの一つだ。今回、「アートトランスレーターアシスタント(ATA)」プログラムの内容、またその成果と今後の可能性について、コミュニケーションデザインチーム(CDT)としてプログラムを構築、全体の運営指揮をとったアートトランスレーターの田村かのこと、ATA4名(神沢希洋、北川光恵、相澤由美子、植田 悠)に話を聞くことができた。

                                      (取材・文:田中伸子)

田村は、アート専門の通訳・翻訳を行う団体「Art Translators Collective」ディレクターの一人。フリーランスとして活動する形態が定着している通訳・翻訳の仕事を、コレクティブとしてチームで請け負うことでお互いを助け合い、精度を高め、それによってアートにおける通訳・翻訳の価値を高めることを目的に2015年に立ち上げた。その活動の一つとして2018年に東京芸術祭ファームの前身であるAPAFの通訳業務に従事した田村は、日々の業務の中でちょっとした疑問を持つようになったと話す。

「参加者たちと寝食を共にしながら、稽古場での通訳だけでなく人間関係や創作にまつわる相談を受けたりするうちに、通訳が果たす役割というのは言語の変換だけではなく、グループのまとめ役、調整役にもなり得るのだなと思うようになりました。一方で、グループの雰囲気をコントロールできる立場にある通訳者が、どのくらい創作の場づくりに関与するかについては、通訳者それぞれの裁量に任されすぎているなと感じたので、そのことを事務局と共有し、話し合いを続けた結果、コミュニケーションのあり方全般を丁寧に検証し設計していこうということになったのです」

そこで、言語の領域に留まらず、さまざまな文化背景を持つアーティスト、制作者たちに積極的に関わり、コミュニケーション環境づくりを行うというコミュニケーションデザインの考えを取り入れ、外国語通訳・翻訳の枠を超えた「アートトランスレーター」の可能性を模索していくことを目的としたATAプログラムが始まった。

Asian Performing Arts Camp 最終公開プレゼンテーションより。左下が田村。

今年は4名のATAが、2つの国際共同プログラム、Farm-Lab ExhibitionとAsian Performing Arts Campの現場に通訳として従事するために選ばれた。すでにアートトランスレーターとしての実績を持つCDTメンバーとチームを組み、7月末から、実務をこなしながらの研修に励んだ。

NY在住でフリーランスの通訳・翻訳としてのキャリアを積む神沢希洋(きよう)は「演劇、芸術に関する知識を活かしつつ、自分の言語スキルを活かしたいなと思っていた私のやりたいことにぴったりだなと思って応募しました」と動機を話してくれた。「言語となると完璧な翻訳、通訳は存在しないと思うのですが、それだけにアートトランスレーションは言語、文化、アートの交差の中で複雑かつ豊かな領域だと思います。色々な人が違った目線から見ることで洗練された訳が可能となり、お互いの意見を交換しあうことで、より良い協働の形が生まれたのではないでしょうか」

海外生活経験が豊富で映像翻訳などを手がけている北川光恵は、その「協働」という観点から、「ATAの仲間が、そしてCDTの皆さんが一緒にいてくれて、自分の翻訳なり通訳なりをみてくれているというのがすごく大きかったです。通常、通訳や翻訳では一人に依頼してきて一人でやらなければいけないということが多いのですが、チームでやれたというのはすごく大きいなと思いました」と語る。

これまで人生の半分を米国で過ごし、海外からの来日アーティストの通訳などを経験している植田悠も、「自分の不得意なところをそれが得意な仲間にサポートしてもらったりして、グループで通訳することによって提供できる通訳の質もさらに高くなると思いました。通訳者間で生まれるエネルギーが稽古場をより良くできると実感しましたし、相談し合えるような仲というのはすごく大切だと思いました」とチームでの作業の成果を語った。

また、外資系企業に長年勤務し、アートとは異なる分野の通訳、翻訳にも携わってきた相澤由美子はATAで初めて「アート」通訳者を体験し、通常の通訳とは違う役割を実感したという。「今回アートの通訳をやり、出てくる語彙や表現の仕方が全く違うので、文脈を読まなくてはいけないという難しさはありました。アートであるからこそ、その言葉一つ一つの意味の厳密さ、単語の使い方がアーティストさんごとに違った意味合いを持つのは独特だな、と。うちの座組におけるこの言葉はこの意味だよね、と言ったことを確認しあい、それを貯めていく作業は豊かで面白いなと思っています」

右上から時計回りに神沢希洋、植田悠、北川光恵、相澤由美子

創作現場でのコミュニケーションと通訳との関係について、田村は「まず確認し合うのは『良い作品を作りたいという思いは誰もが同じである』ということです。アーティスト、制作、スタッフ、それぞれの立場から良い作品にしたいと思っているのです。しかし、必ずしも皆が仲良くやれれば良いというわけではありません。たとえばアーティスト同士、意見をぶつけ合うことが必要なのであればそれは起こるべきで、誰かががあえて厳しいことを言ったとしても、アートトランスレーターの立場としてそれを出力調整してしまうと、その意図はそこで伝わらなくなってしまうので、伝わるべきことにいかに忠実に対応できるかの方が大事になります。今そこでコミュニケーションをとっている人たちにとって、何が必要かその場その場で考えていくことが大事なんです」という。

さらに、そのような活気に満ちたコミュニケーションの現場を作り出すため、基本的な条件として留意するべきことがいくつかある、と彼女は明言する。「さまざまな出自を持つ人々が集まって創作をする現場は、どの立場の人も安心してコミュニケーションがとれるよう慎重に場を設計する必要があります。自分の意見を臆することなく言える、対等な立場で発言できている感覚がもてる、私は声を上げても良いのだと思える環境をつくることが大切です。その環境づくりは通訳者がもともと担っている仕事でもあるのですが、たとえば、今回新たに導入した取り組みとしては、それぞれが英語で使っている代名詞はなんですかということを事前に尋ねて、この人は男性に見えるからheと呼ぼうとか、この人は女性の名前を持っているからsheだと勝手に決めるのではなく、その人自身が呼んでほしいと思っている代名詞を確認してから創作に入りました。また、研修とは言え、ATAに業務を制限なくお願いしてしまいそうになるところをきちんと労働環境を整える、というのもコミュニケーションの環境を整えることに紐づいていると思うので、労働時間をきちんと管理するということを今年は重点的にやり、上手くいったと思っています」

これらの留意点に関してはATA側からの反応も見られ、例えば神沢からは、「コミュニケーションデザインの考え方を大切にしていることに共感しています。応募ページを見た時に、ガイドラインが乗っていて、その中にお互いのセクシュアリティやジェンダー、人種、そういった自分で決められないようなことに対して絶対に差別は許さない。ハラスメントは絶対に許さないといったことがしっかりと発信されていて、よりいっそうこのプログラムに関わりたいと思いました。アート以外の場でもこういったガイドライン、コミュニケーションデザインの考え方というのは、健康的に協働する仕事の場づくりに役立つのではないかと思います」といった感想があがっている。

コミュニケーションデザインに関しては相澤からも「一般的にもコミュニケーションデザインの考え方ってすごく価値があると思っていて、アートの枠を超えたところでも、日本がいかに国際社会の中で効果的にコミュニケーションをしていくのかというところにも貢献できるのではないかなと思っています」との意見が寄せられた。

さらに、このATAプログラムの特徴として挙げられたのが、学びながら実務をこなしていくという実践形式の研修制度。

北川は、「このプログラムのすごくいいところは全員がまだ成長段階にあるということをみんなが了承しているということだと思っています。練習ではなく、常に本番であるという緊張感の中、教育と本番というのがすごく噛み合っているような気がしています」と話す。

田村によると、アートトランスレーターの人材育成に関しては日々の現場で経験を積んで、その一つひとつを各自の能力としてもらう以外に一朝一夕の早道はないと言うことだ。「CDTとATAのみなさんが現場でチームとして動くことによって得られたものは非常に大きかったです。実践の場で解決方法を一緒に探ることができたし、アーティストたちにもコミュニケーションを担っているチームの存在を認識してもらえました。どうすれば良い通訳ができるか、マニュアルみたいなものが作れれば手っ取り早いのですが、普遍的な方法はないので、その現場ごとに考えていくしかない。本当にその日、その時ごとの判断ですし、それは集まった座組にもよるので、一人ひとりがそういった判断力と応用力を持ったアートトランスレーターになってもらうしかないのです」

今回のプログラムを通して、普段繋がることが難しい国内外のアーティストや演劇クリエイターたちと繋がることができたのが素晴らしいと語る植田は、「このプログラムがもっと人に知られたら良いなと思います。こんな面白いことが池袋の東京芸術劇場周辺で起こっているということが知られたら。そして、演劇界において通訳はクリエイティブな仕事をする人なのだと認識されていくことを願います」と期待を寄せる。

この点に関しては田村も同様の認識を共有していて、今後はこのATAの取り組みをどのように外部へ伝えていくのかが最重要の課題だと話す。そしてその先に、同じ現場で働く人が同じ国、同じ人種の人だけとは限らないことが普通である海外のアートの現場のように、日本においても国際共同・協働が特別なことではなくなる日が来ることを願っていると結んでくれた。

「より多くの人たちが人種や国境、文化を超えて創作の現場に携われるようにするには、如何にしてお互いをリスペクトして働ける環境を作れるかということを考えると、必然的にやることが見えてきます。良い作品を作りたければより多くの良いアイディアが出たほうが良いですよね。でも、あるアーティストが良いアイディアを持っているのに、たとえば言葉の壁で、もしくは何らかの理由で萎縮してしまって発言を控えてしまったら、良い作品ができる可能性がひとつなくなってしまうわけです。なので、より多くの素晴らしい作品が生み出される可能性を少しでも広げるために、どうサポートするのかを考える。それが今やっているコミュニケーションデザインということなんです」

アートトランスレーターアシスタント プログラムの詳細はこちらから
https://tokyo-festival.jp/2021/farm_program/ata/

田中伸子(たなか・のぶこ)

演劇ジャーナリスト、The Japan Times演劇担当。2001年より英字新聞 The Japan Timeの演劇担当として現代演劇、コンテンポラリーダンスに関する記事を執筆するほか、公演パンフレット、演劇専門誌などの日本語メディアにも記事を寄せている。バイリンガル演劇サイト http://jstages.com/ を運営。