東京芸術祭2020野外劇『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』を見ながら、
元・地方文化施設勤めのフリーライターがあーだこーだと取り留めのないことを考えた話

豊島区池袋に住んで6年ほどになる。

池袋には、2つの大きな公立文化施設がある。池袋駅を挟んで対になる形で、西口側には劇場やコンサートホールを擁する「東京芸術劇場」が、東口側には劇場を中心とした「あうるすぽっと」がそれぞれ建つ。これまで、「東京芸術祭」のメイン会場となってきた場所である。

かつては、電車を乗り継いで、これらの施設まで観劇などに来ていた。その頃は、池袋駅のカオスっぷりに辟易したものである。

某大型家電屋のCMソングの歌詞「ふしぎなふしぎな池袋、東は西武で、西、東武」じゃないが、東西が逆になった紛らわしいネーミングの商業施設。JR×4線、地下鉄×3線、私鉄×2線が走り、地下通路の方向表示の数もめちゃめちゃ多い上に、東西口それぞれに抜けるには、基本的にそこを通過しなければならない(少し外れた場所に通り抜け通路はあるが、土地勘がなければ知らないだろう)。地上出口の数も多いし、ごく近いところにある北口と西口の差もよく分からなかった。なお、そうした声を反映してか、少し前に、かつての北口は「西口(北)」と名が変わったことが記憶に新しい。

正直なところ、ひょんなことから住むようになる以前は、池袋で何か用事があると「また迷うんだろうな……」と憂鬱な気分になったものだ。とはいえ近年、だいぶいろいろと整理されたような気がするし、住んでいるゆえの慣れもあり、今ではもう迷うことはない。思っていた以上の住みやすさから、「越してよかった」とも思う。ただ、たまたま通りかかっただけであろう通行人から、道を尋ねられるのはわりと日常茶飯事。慣れない人にとって池袋は、鬼門であり続けているのかもしれない。

さて、そんなドでかい駅が中心に横たわっていることから、どうしても東と西は分断されがちだ。「分断」という言い方が大げさなら、双方からのアクセスがちょっと面倒、と言い換えてもいい。

私が住んでいるのは、駅の東側だ。馴染みの薄い人がイメージしやすいように付け加えるなら、西武デパートとサンシャインシティがある側である。基本、近所は自転車で移動するので、徒歩の人に比べれば、さっと西側にも行けてしまう。だが、それには池袋のランドマークの1つ、豊島清掃工場の巨大煙突方面にある池袋大橋を上がって下がってしなければならず、ちょっとかったるい(実際に通ったことのある方はご存知かもしれないが、ここを自転車で渡るには、構造上、来た道をいったん戻るような格好になる。それもまたかったるい)。あるいは、前述の「少し外れた場所にある通り抜け通路」の1つである東口のPARCOとP’PARCOの間のトンネル状の小路「ウイロード」を通る手もあるが、あの付近は人が多くて自転車だと走りにくいのだ(トンネル内は狭いので、自転車は押して通らなければならない)。

そんなわけで、ピンポイントで「ここに行く」という特定の用事がない限り、東側で完結させるような生活スタイルになっている。想像するに、西側の住人も似たような感じなのではないか。まあ、西口に比べて東口側は、大型の書店や家電量販店、映画館、東急ハンズなどもあるため、その「特定の用事」も少なくないかもしれないが。

今秋、自転車ではなく、歩きで駅を抜け、西口にある東京芸術劇場へと向かった。劇場に隣接する池袋西口公園野外劇場「GLOBAL RING THEATRE」で上演される、東京芸術祭2020野外劇『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』を見るためだ。

いまだ収束の目処がつかない新型コロナウイルスの流行から、「劇場」と名の付く場所に赴くのもかなり久しぶりのことだった。オープンエアーな環境ゆえ、まわりを気にせず鑑賞できたのがよかった。60年代の東京オリンピックを舞台とした芝居も、太平洋戦争から現在に至るまで変わらない、日本人のメンタリティにおける「負」の側面を抉るような演出が冴える攻めた内容で、「おお」となった。もしかしたら東京オリンピック2020の開催延期と、それに伴う現状を踏まえての、ある意味皮肉を効かせた演出なのかも? などと勘ぐったりもしたのだが、聞くところによれば、「演出は当初の予定通り」とのことだ。もしコロナがなく、予定通り「祭り」の後にやっていたとしたら、果たして観客は作品に対してどのような感情を抱いただろうか。

余談だが、私は今はフリーのライターだが、かつて地方にある文化施設の劇場で、制作として勤務していたことがある。当時は、とんがった表現と地域貢献みたいなことを、どのようなバランスで実現させればいいのか、若くて何も分かっていないなりに考えていたものだった。結局、自分なりの答えを見つけるより前に退職し、上京してしまったのだが。もし辞めていなかったら、何らかの答えを見出せていたのだろうか? いや、社会状況が変わり続ける以上、その答えも変化し続けるに違いなく、いまだに同じようなことに悩んでいたかもしれない。あるいは、そんなことを考えられないくらいルーティンワークに慣れきったダメ職員になっていたとか? 想像すると怖いが、たぶんそんな人間になっていたら、もう自分で自分のダメさには気付けなくなっていたに違いない。むしろ、そのことの方が怖い。

……などなど、野外劇場の椅子に座り観劇しつつ、そのすぐ外側では、通りかかった普通の生活者や買い物客が「何かやってるね」なとど会話を交わし、酔っ払いが「んぁ!?」と大きな声を上げ、芝居の進行などお構いないしに鳴る車のクラクションが耳に入る中、ぐるぐるとそんな思念が頭を過ぎっていった。

東京の劇場と、地方の劇場とでは、「地域」に対するスタンスもまた異なるだろう。言うまでもなく、東京では地元の人間が観客のメインにはなるわけではない。一方で地方は、絶対的に地元の観客がメイン層となる。当然、アプローチの仕方も変わってくる。前者については、私は実態を知らない。

だが、少なくとも、こうした文化施設があることは、その土地に暮らす人間にとって豊かなことではあると思う。そこが、何か来る関心ごとの入口になるかもしれないからだ。もちろん、「興味ないね」「要らないよ」と言う人はいるだろう。ただ、そんな人とて、触れるチャンスの有無次第で状況は変わり得る。例えば、「んぁ!?」と言っていた酔っ払いも、シラフに返った時に、「なんか面白そうなのやってたな」とか思うことがないとは言えないではないか。そうした予想外の出会いの可能性は、もしかしたら「ああ、あそこになんか立ってるね、何やってんだろうね?」みたいな場所にもあるかもしれませんよ、と。

可能性なんて、どんだけあってもいいですからね。

 

文:辻本力(ライター・編集者)

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