東京芸術祭ワールドコンペティション ディレクター・横山義志のブログ

2030年代に向けて、世界基準を複数化する 〜東京芸術祭ワールドコンペティション2019〜

4.2030年代に向けて、世界基準を問いなおす

2019/09/29

今は「世界基準を問い直す」には絶好の時期でしょう。2030年にはアジアの経済力が欧米の合計を上回っているだろう、という予測もなされてきました。世界の経済活動の重心は二世紀ぶりにアジアに移りつつあります。ここ数世紀、欧米中心に作られてきた舞台芸術の枠組みも、これから大きく変容していくでしょう。

今私たちがやっていることが22世紀にどのような枠組で語られているかは、これから十数年の実践と議論にかかっています。それは「演劇史」でも「舞台芸術史」でもないかも知れません。「演劇」という概念にそろそろ賞味期限が来ているのではないか、と思っている人も少なくないでしょう。今私たちが使っている「演劇(theatre / théâtre / Theater…)」という概念は16世紀から19世紀に西ヨーロッパで形成されてきたものに由来しています。これはちょうど大航海時代から産業革命にいたる時代で、アジアからヨーロッパに世界経済の重心が移行していった時期と重なります。

近代のヨーロッパでは、「演劇」、「ダンス」、「オペラ」という3つのジャンルが、制度として形成されてきました。ここで確立した「演劇」というジャンルは、「ダンス」や「オペラ」とちがって歌や踊りがメインではないものとされていきました。この意味で、「演劇」というジャンルは、アジアで育まれた芸能(能、歌舞伎、京劇、カタカリ…)には、あまりしっくりくるものではありません。

一方北米では、これら全てを含む「パフォーマンス」という概念もよく使われます。これは演出家でニューヨーク大学パフォーマンス学科創立者のリチャード・シェクナーが、アジアの芸能にも大きな影響を受けて1970年頃に提唱した概念ですが、ここにはさらに美術館などで行われる「パフォーマンス・アート」、それにスポーツや政治家の演説、日常の挨拶までも含まれています。

最近よく使われるようになった「パフォーミング・アーツ(舞台芸術)」という概念は、この「パフォーマンス」という概念を、近代西欧で発展した「芸術」という概念や、「芸術」に含まれる「(絵画、彫刻、音楽など)分類可能なさまざまなジャンル」という含意と折衷させたような語感があります。つまり、ここには、「演劇」、「ダンス」、「オペラ」…といった近代西欧で育まれたジャンルを温存させつつ、そこに当てはまらないもの(たとえば「コンテンポラリーサーカス」)も「芸術」という枠組みに入るならば入れてもいい、というあいまいな態度が見えます。(とはいえ、今のところこれよりもよい概念を知らないので、とりあえずはこれを使っています。)

しかしいわゆる「舞台芸術」界において、アジアから新たな価値観や枠組みが生まれ、世界的に共有されていった例は、「舞踏/Butoh」をのぞけば、まだほとんどありません。これは舞台芸術界で基準となっている言語が英語やフランス語などの西洋語だということとも関係しているのでしょう。これからは非西洋語が基準になっていく可能性もあります。

近年の舞台芸術界では、新たな枠組みをつくるという意味では、アジアよりも北米やオセアニアなど英語圏先住民の動きが目につきます(それもあって、今回「アーティスト審査員」には両地域の先住民文化をベースとする重要なアーティストをお呼びしています)。「舞台芸術」ではなく、先住民たちが培ってきた芸能や儀礼にもとづいてコンテンポラリーな実践を立ち上げ、欧米で作られたのとは違う仕組みでフェスティバルなどを立ち上げようという動きが近年各地で見られます。では、アジアではなぜそれが難しいのでしょうか。

5.ローカルに、グローバルに

アジアで西洋中心的でない舞台芸術の枠組みを考える際に一つの障害となっているのは、いわゆる「伝統芸能」が往々にしてナショナリズムと結びつけられてきたことです。西洋的な舞台芸術の枠組みが世界化するなかで、アジアのローカルな歴史のなかで育まれてきたものは、西洋的な「モダン」「コンテンポラリー」に対して「伝統的なもの」という枠組みのなかに押し込まれ、西洋化/植民地化への抵抗としてのナショナリズムと結びついてきました。この枠組みのなかで、「ローカルに育まれ、伝承されてきたもの」は私たちが日々生きている「近代/現代」とは切り離されたものであるかのように見なされがちでした。

一方、西欧近代のナショナリズムもまた、舞台芸術によって育まれました。特に演劇は、英語やフランス語が「シェイクスピアの言語」、「モリエールの言語」と呼ばれるように、「国語」をつくる上で大きな役割を果たしてきました。これに倣って、アジアやアフリカでも、ローカルな芸能から、ナショナルな「伝統芸能」や「舞台芸術」を作っていく動きが生まれました。これは同時に地域性をはぎとっていく動きでもありました。これに対して北米・オセアニア先住民は「国民国家」も「国語」もつくることができなかった分、ローカルな文化が地域性を保ちつづけたところがあります。

ヨーロッパで国民国家が形成されるときに舞台芸術が重要な役割を果たせたのは、19世紀までは劇場が重要なマスメディアの一つだったからです。でも20世紀になると、「国家」や「民族」といった枠組みの形成は徐々に映画やラジオやテレビといった数万人以上の規模を相手にすることができるメディアが担うようになり、せいぜい数千人規模の観客しか収容できない劇場は「ナショナル」な規模には適さないメディアとなっていきました。

そして21世紀には劇場はむしろマスメディアでは見ることができないような表現に立ち合う場となりました。人が生身の身体を他の人々に見せるという営みは本来、つねに「ローカル」で「コンテンポラリー」なものです。この状況のなかで、「ローカルでコンテンポラリーなもの」がふたたび見直される機運が生まれてきています。

でも今の時代、どんなにローカルな共同体でも、地球全体と関わることなしにやっていくことはできません。そして舞台芸術を仕事としていくためには、まだ見ぬ人々との出会いに向けた想像力を養い、より多くの人が立ち会えるような仕組みをつくる必要があります。

アーティストたちが望んでいるのは、芸術の価値が経済によって決められることではないでしょう。ローカルにつくられた価値観を世界に開かれたものにしていき、新たな「世界基準」をつくっていくこと。また、既存の「世界基準」にも、より多くの人を巻き込めるような想像力を持たせること。そして、「舞台芸術」を志す世界中の人々が活躍しやすいような仕組みをつくること。それが、このコンペティションの目的です。そうしてはじめて、日本やアジアのアーティストたちも、より世界的に活躍できる環境ができるはずです。

(Directors blog vol.4 『6.日本から、東京からできること』『7.東京芸術祭ワールドコンペティション2019』へつづく)

横山義志(よこやま・よしじ)

東京芸術祭国際事業 ディレクター/東京芸術祭ワールドコンペティション ディレクター

1977年千葉市生まれ。中学・高校・大学と東京に通学。2000年に渡仏し、2008年にパリ第10大学演劇科で博士号を取得。専門は西洋演技理論史。2007年から SPAC-静岡県舞台芸術センター制作部、2009年から同文芸部に勤務。主に海外招聘プログラムを担当し、二十数カ国を視察。2014年からアジア・プロデューサーズ・プラットフォーム(APP)メンバー。2016年、アジア・センター・フェローシップにより東南アジア三カ国視察ののち、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)グランティーとしてニューヨークに滞在し、アジアの同時代的舞台芸術について考える。学習院大学非常勤講師。論文に「アリストテレスの演技論 非音楽劇の理論的起源」、翻訳にジョエル・ポムラ『時の商人』など。舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)理事、政策提言調査室担当。

pagetop