「暴力の歴史」presents 暴力を考えるノート 移民と暴力を 考えるための トラックリスト 磯部 涼

「暴力の歴史」presents 暴力を考えるノートより、その内容を一部このコラムにて公開します。小冊子は東京芸術劇場とあうるすぽっとにて配布しています。ぜひお手にとってご覧ください。

移民と暴力を考えるためのトラックリスト 磯部 涼

YGはアフリカ系アメリカ人のラッパーだが、この曲ではマリアッチというメキシコの伝統的楽団の衣装を着ていて、曲調自体、ヒップホップのビートの上に、アコースティック・ギターやトランペットによるメキシコ風の演奏を乗せたものになっている。サビで連呼される「Loco」もクレイジーという意味のスペイン語(タイトルはその綴りを変えたもの)だし、それに合わせてカメラはチカーノと呼ばれるメキシコ系アメリカ人のパーティの盛り上がりを映し出す。ちなみに、後半に登場するジョン・Zというラッパーはプエルトリコ出身で、チカーノと同様、ヒスパニック(スペイン語圏からの移民)だ。

続いて、背景について説明しよう。YGが生まれ育ったのは、カリフォルニア州のコンプトン。アメリカの中でも特に貧困と犯罪の問題を抱えていることで知られているこの街を仕切っているのは、ブラッズとクリップスというふたつのギャング・チームで、だからこそ、彼らの生活や犯罪について歌うギャングスタ・ラップというジャンルが盛んになった。同ジャンルの始祖に位置付けられる伝説のグループ、N.W.Aを主人公にした映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』(2015)も参考になるだろう。
ギャングスタ・ラップは暴力的表現が問題視される一方で、多くの人が見て見ぬふりをしている現実を突きつけているのだと評価されてきた。N.W.Aの代表曲〈ファック・ザ・ポリス〉(1988)は、発表当時、大きな議論を巻き起こしたが、それはアフリカ系アメリカ人の若者が警察から受ける暴力に対する、音楽を通した反撃でもあった。
また、YGと並ぶ現在のコンプトンを代表するラッパーである、ケンドリック・ラマーの〈オールライト〉(2015)という楽曲が、警察によるアフリカ系アメリカ人少年射殺事件に端を発する「ブラック・ライヴズ・マター」(黒人の命も大切だ)という運動のテーマソングになったことから考えると、ギャングスタ・ラップを生み出す環境は改善していないことがわかる。

YGも前述のブラッズに所属しており、作品のデザインには必ずチーム・カラーの“赤”をあしらう。「Go Loko」のマリアッチ風の衣装も真っ赤だし、「Loco」の綴りを「Loko」にしているのは、「C」がライバル=クリップスの頭文字だからだ。そして、N.W.Aの後を継いで、権力者を口汚なく罵ってきた。例えば、〈FDT〉(2016)。タイトルは「Fuck Donald Trump」の略で、その名のとおり、大統領予備選挙期間中、共和党の候補のひとりであったドナルド・トランプを批判するために発表した楽曲だ。ここでYGは、クリップス所属のラッパーであるニプシー・ハッスルと共演している。大きな敵のためだったらライバル・チームとも手を組むというわけだ。
彼らが問題視するのはトランプのレイシズム的態度や政策だが、だからこそ、この曲ではギャング・チームだけでなく人種を超えた連帯が歌われる。トランプの「でっかい壁を立てるぞ! メキシコとアメリカの国境にな! 費用はもちろん全部メキシコ持ちだ」という演説の引用に続いて、YGはラップする。
「おい メキシコ人には世話になってんだ 売人としてもな/車高を下げたいときは誰を呼ぶんだ? メキシコ人だろ」
「売人」は、当然、ドラッグの売人のことで、「車高」云々は、チカーノにローライダーという独自のカスタム・カー文化があることを指している。トランプが壁を立てようが、アンダーグラウンド経済やストリート文化を通してアメリカとメキシコはつながっているのだ。
そして、YGの「よぉ、ニプシー メキシコ人の大切さを教えてやってくれ」という呼びかけに、ニプシー・ハッスルが続ける。
「アメリカはメキシコなしじゃ成り立たないぞ/結束したときが、始まりだぜ/黒人に愛を ヒスパニックに誇りを もう一度/白人も同じ血が流れる兄弟だ/もしオレらが勝てば神に祝福されるだろう」(以上、翻訳はYoutubeアカウント「Whizkid Mad」を参照)
その後、YGは、G・イーズィーとマックルモアという白人のラッパーふたりと〈FDT Part.2〉も制作、同曲ではムスリムやセクシャル・マイノリティとの連帯が表明される。

説明するまでもないが、結局、トランプは大統領に就任する。さらに、ニプシー・ハッスルは銃殺されてしまう。
しかし、YGの戦いは終わらない。今年4月の「コーチュラ・フェスティバル」のステージで、彼はニプシーに追悼の言葉を捧げた上、スクリーンに巨大なトランプの写真を写し、観客と〈FDT〉を合唱した。
〈Go Loko〉も同じテーマのもとにつくられた曲と言っていいだろう。ここでは、〈FDT〉とはまた違い、音楽の楽しさを押し出す形で、移民国家としてのアメリカが表現されている。それが「マイノリティ」だけの意見ではないことは、英語とスペイン語と韓国語のポップスが入り交じる同国のチャートを見ても明らかだ。
では、政府が移民政策をかたくなに行わないどころか、多くの国民も単一民族神話に囚われている日本はどうか。
やはり、チャートではまだはっきりとはわからない。一方で、ラップ・ミュージックを聴けば、すでに日本が変わりつつあることがわかる。果たしてそれは、同化主義というこの国を覆う静かな暴力を、突き破ることができるだろうか。

移民と暴力を考えるためのトラックリスト

•YG「Go Loko feat. Tyga, Jon Z」
•ROSALÍA「Con Altura feat. J Balvin, El Guincho」
•21 Savage「a lot feat. J.Cole」
•MC Magic「Search feat. Cuco & Lil Rob」
•Raveena 「Mama」
•Fuji Taito 「Top freestyle」
•Power DNA 「Castelo feat. Flight-A」
•なみちえ 「おまえをにがす」
•FUNI「Yonayona feat. tristero」
•Moment Joon 「令和フリースタイル」

磯部 涼[いそべ・りょう]
ライター。主に文化と社会の関わりについて執筆。近著に『ルポ 川崎』(2017、サイゾー)がある。『文藝』(河出書房新社)にて「移民とラップ」を連載中。

写真: Arno Declair

暴力の歴史

“暴力”のかたち
社会に黙認された暴力の形を、あなたはどう受けとめる?

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警察の自宅捜査が始まる—。
教育・収入格差、移民やセクシュアル・マイノリティへの偏見。
私たちは加害者なのか、それとも被害者なのか。
現代社会で再生産され続ける“暴力”の形を抉り出す。

原作:エドゥアール・ルイ
演出:トーマス・オスターマイアー

2019/10/24(木)〜10/26(土)
東京芸術劇場 プレイハウス

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