74匹の猫が歌い、踊り、描き出す まちの人間模様
昨年の『三文オペラ』からスタートした東京芸術祭の野外劇シリーズ。今回は作・演出家のノゾエ征爾(はえぎわ)が夏目漱石の名作『吾輩は猫である』を脚色、演出した新作が、東京芸術劇場前の広場に登場します。あの小説をどうやって舞台化するの? 70人以上の大人数キャストはどんなふうに登場するの? 『吾輩は猫である』の知られざる見どころを探りに、本番を10日後に控えた稽古場に潜入してみました。
10月10日。台風が迫る重たい曇天の中、稽古場には100名を越すキャスト、スタッフが集い、来る本番に向けた最終調整を行っていました。
この日のスケジュールは、歌の場面の抜き稽古と、何度目かの全体の通し。スタジオに足を踏み入れると、そこには4、50人の「女子学生たち」が隊形を組み、演出のノゾエ征爾の指揮で、ロシア民謡『ポーリュシュカ・ポーレ』を歌っていました。伴奏はごくごく小編成の音楽隊。拍子をとるパーカッションは俳優が担当しています。40人超の出演者が歌に合わせ、足を踏み鳴らす様子には、活力がみなぎっていました。
「おお娘よ、われらはたたかう、駒はいななきすすむ、おぉ敵陣めがけて……」一通り歌い終えると、ノゾエと音楽担当の田中馨が中心になって、言葉の強弱やテンポ、息継ぎのタイミングといった細部の調整をしていきます。この舞台に限らず、劇中での「歌」は、とかくドラマティックな盛り上がりに飲み込まれがちです。「言葉を流さないように」という指示に応え、俳優たちも大事なセンテンスを繰り返し口ずさみ、確認しあっています。
続いては、男性の「裸体たち」が歌う、『ステンカ・ラージン』。これも、ロシア民謡で、ヴォルガ川で強奪を働く盗賊団の首領で、農民による反乱を指揮したスチェパン・ラージンの活躍を歌う曲です。壮大でゆったりとした曲に合わせて、半裸の男たちが歌い、行進する姿は、自由で伸びやかなユーモアをたたえています。見守るスタッフ席からは、「いいね、色っぽい」との声も上がっていました。ここでの田中からのアドバイスは、「ハーモニーを聴かせつつ、一人ひとりの声を出そう」というもの。綺麗に揃えるだけではない、奥行きのある表現がここでは求められているよう。さらに振付の下司尚実からは、歩き方をより悠々と見せるためのアドバイス、そして、舞台上の移動の際に身体にかける意識が緩んでいるとの指摘がありました。行進の先頭を担当する二人の俳優が、照れ笑いしながら頷き、移動のスピードやタイミングを打ち合わせる姿が、このカンパニーのリラックスした連帯を感じさせました。
バラバラだけど、いっしょにいる人/猫たち
ところで、ここまで、紹介してきた役名が、すべて「たち」であることに、お気づきでしょうか。「女子学生たち」も「裸体たち」も、群衆として登場するからそう呼ばれているのではありません。この、ノゾエ版『吾輩は猫である』の登場人物は、ご主人の珍野先生も、その妻も、友人の寒月くんも、弟子の多々良くんも皆、複数の人間に寄って演じられる「たち」なのです。
この舞台の原作、夏目漱石の『吾輩は猫である』は、英語教師・珍野苦沙弥先生の飼い猫「吾輩」の目線から、先生とその周囲の家族、友人たちの生態を描いた小説です。先生をはじめ、登場する人々はみな、「吾輩」から見れば自意識過剰で滑稽な存在ですが、彼らの抱える葛藤は、近代社会で生きる個人なら誰でも身に覚えがあるものでもあります。一人ひとりの登場人物を複数の人間で演じるアイデアは、個人の多面性と、その葛藤の普遍性について、同時に思いを馳せるための仕掛けなのかもしれません。
オープニングの大合唱は、珍野先生(たち)の演説が、どこからともなく現れた猫たちの大群に占拠されてしまう場面から始まります。舞台上にはもちろん、一部階段状になったセットの上、真ん中に建てられたポールの上にも猫たちが現れ、歌う様子は、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のバリケードのシーンをも思い起こさせるものでした。「吾輩は猫である」というリフレインが印象的な歌詞に加え、この曲には、猫のわめき声、鳴き声などのパートも織り込まれています。74人のキャストが、ワァワァ、ニャァニャァも含め、それぞれの声を響かせ生み出すハーモニーは、実に複雑な厚みを持って胸に迫ります。
本番は野外。まちなかで聞くその歌声、鳴き声はきっと、たくさんの異なる人々が、それぞれに異なった思いを抱えつつ、このまち、この場に生きているということを、あらためて実感させてくれるでしょう。
スタッフも含め総勢100名を越すカンパニーで、芝居はもちろん、歌や踊りもふんだんにある舞台をつくりあげるのは、並大抵のことではないはずです。それでも、通し稽古の間も誰一人ピリピリすることもなく、といって緩むこともない明るい稽古場は、本番に向けた準備、仕上げの時間が充実したものであることを伝えてもくれました。
(文:鈴木理映子(編集者・ライター))
野外劇『吾輩は猫である』
おぬしは何者である。
夏目漱石の「吾輩は猫である」を下敷きに、気鋭の演出家ノゾエ征爾が挑みます。 日本文学のマスターピースを大胆に換骨奪胎し、池袋の野外に総勢80名弱のキャストたちと新基軸の劇世界を立ち上げます。
日程:10月19日(土)~29日(火) 各回17:30開演
場所:東京芸術劇場前広場
・少雨決行・荒天中止
※本公演の開催の可否につきましては、開演2時間前(15:30)までに東京芸術祭公式Twitterなどで配信いたします。
<野外劇「吾輩は猫である」当日券販売について>2019/10/17 20:00
当日券は抽選販売となります。
16:45~17:00に抽選券を配布し、17:00以降にキャンセル待ちを含む当選者の抽選を行います。
当選者のご入場、及びキャンセル待ちの方へのチケットの販売は、開演の10分前(17:20)以降となりますので、ご了承ください。
なお、抽選後も残席がある場合に限り、先着順で当日券を販売いたします。
また、無料でご観劇いただけるスペースもございますので、合わせてご利用ください。
※抽選券の配布および当日券のご購入は、お一人様につき、1枚です。
※当日券の販売枚数につきましては、各回とも変動があり、事前のご案内はできかねますのでご了承ください。
★野外公演についての注意事項
※日没後は、気温が下がりますので、観劇の際には、防寒・
※客席内では傘はご利用いただけません。雨天時は、