東京芸術祭 2017

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2018.01.23

『0場』第4夜(テーマ:社会と舞台芸術vol.2)イベントレポート

アートというジャンルを越え、多様な分野で活躍する先駆的なスピーカーをゲストに迎えて、議論を深める東京芸術祭2017のトークシリーズ『0場(ゼロバ)』。最終回となる第4夜が、12月8日に催されました。テーマは「社会と舞台芸術vol.1」。第3夜に同テーマで語り合ったvol.1に引き続いての題材でありつつ今回は、、東京芸術祭のプログラムを検討するために発足した「プランニングチーム」のメンバーの2名も登壇し「アジアの中の“東京”における国際芸術祭のフレームワーク」という論点を核に据え、さらなる発展のために議論を行いました。

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アジア、東京、国際芸術祭――広範にわたるテーマを語り合ったのは、まさに広がりゆくフレームワークにおいて活躍する4名。逆説的な表現を用いれば、ジャンルレスな現代ならではの“プロフェッショナル”な方々です。まずは「プランニングチーム」メンバーから、海外演目招聘やアジアの舞台芸術交流事業を数多く務める横山義志さん(SPAC‐静岡県舞台芸術センター文芸部、東京芸術祭直轄事業ディレクター)と、アジアのアーティストとも多数の共同制作作品を作り出してきた多田淳之介さん(演出家、東京デスロック主宰、APAFディレクター)の2名。次に、アジアを中心に世界中のさまざまな舞台芸術の専門家と交流のある丸岡ひろみさん(国際舞台芸術交流センター〔PARC〕理事長、国際舞台芸術ミーティング in 横浜〔TPAM〕ディレクター)、そして国内外の文化政策に精通している太下義之さん(三菱UFJリサーチ&コンサルティング芸術・文化政策センター主席研究員)です。

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横山義志さん

国際社会、アジア、日本、東京――いくつもの要素が同心円状に重なり合い、複雑に絡まり合う“今”を体現した4者のトークは、まさにそうしたシームレスな現状を浮かび上がらせるものになりました。
まず横山さんが指摘したのは、「アジアのコンテンポラリーな舞台芸術」を招聘するというときに感じる難しさについて。そもそも現代の舞台芸術祭の枠組み自体が西洋を基準にして成立し、日本もそうした価値観を輸入しているなかで、アジアをどう捉えるのか、という問題が露見しているといいます。
一方で、アジア域内の舞台芸術関係者のネットワークが構築されつつあるということですが、横山さんが懸念しているのが、そうした新たなネットワークのなかで日本が取り残されていくのではないか、という問題です。特に中国語圏が圧倒的な存在感を発揮するようになり、かつ横山さんいわく国際芸術祭の場で日本人の姿をあまり見ないという現状が続けば、日本の舞台芸術が国際的なプラットフォームのなかでのプライオリティを減じていってしまう事態は十分考えられます。世界経済の中心も徐々にアジアに移っていくなかで、東京で行われる芸術祭の役割が問われているのです。

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多田淳之介さん

これに対して多田さんは、また異なった形でのアジアや東京の相対化を行いました。多田さんがプレゼンテーションしたのは、2010年から第3代芸術監督を務めている、埼玉県の「富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ」の活動についてでした。いわゆるフェスティバルは開かないかわりに、毎月のように地域の人々や子供たちが参加しての交流プログラムやワークショップ、市民参加劇などが開催されているようです。
つまり、ここで多田さんが考えているのは、東京芸術祭とはどういったコミュニティのための祭りなのか、という基本的な問いでした。東京の舞台芸術の文脈から近年距離をとる一方で、韓国をはじめとしたアジア圏での共同制作も重ね、2018年よりAPAF‐アジア舞台芸術人材育成部門のディレクターに就任する多田さんならではの観点です。本来祭りとは何かしらのコミュニティのために行われるもの。東京芸術祭は、アジアのための芸術祭なのか、それとも日本のことを考え直すために開かれるべきものなのか――これが、日本における、かつ東京ではない“地域”を足場に置く多田さんからの問題提起でした。

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丸岡ひろみさん

丸岡さんが手がけるTPAMとは、同時代の舞台芸術に取り組む国内外のプロフェッショナルが、公演プログラムやミーティングを通じて交流していく刺激的なプラットフォームです。1995年に「芸術見本市」として東京で開始し、2011年より「創造都市」横浜で開催、近年はアジアへのフォーカスを強化しています。海外からの参加者は約半分がアジア・オセアニアから、もう半分が北米やヨーロッパから、という状況とのことでした。2017年にタイの映像作家アピチャッポン・ウィーラセタクンの『フィーバー・ルーム』を上演した際は当日券に長蛇の列ができ、大きなセンセーションを巻き起こしていました。
プログラムされる舞台作品について、丸岡さんが考えているのは、グローバルなコンテクストのなかで通用する作品になっているかどうかという基礎的な条件のみではなく、社会に対して批判・批評する視点を持っているか、という点も考慮している、とのことでした。見る者の視座や前提そのものを問い直すという非常に難しい作業を、その芸術作品が行っているかどうか――それはすなわち、舞台芸術が「観客」のことを真剣に考えているのか否か、社会に新たな変革をもたらす劇場やフェスティバルの役割を担える作品なのかどうか、という点にかかってくるようです。

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太下義之さん

東京からアジアを踏まえた芸術祭を考えるうえでも、単なる交流に留まらない、作り手と観客が真に創発的であるための、国際芸術祭の使命が問われているのでしょう。では、そうした芸術祭を取り囲む文化自体の状況はどうなっているのか。文化政策の専門家である太下さんが明快に語ってくれたのは、私たちが大切だと思っている「文化多様性」のあり方そのものでさえも、政治的な状況のなかでたえず揺れ動いている、という歴史的な展望でした。
自由な市場原理をもってして多様性を担保しようとするアメリカ的な思想と、多様性のためにこそある程度の保護政策が必要だと考えるフランス的な思想――。フランス・パリに本部を置くUNESCOが「文化的多様性に関する世界宣言」を総会で採択し、アメリカ・ニューヨークで9.11が発生した2001年以降、文化政策は常にこの二方向のイデオロギーのなかで展開しており、国際芸術祭はその“現場”である、というのが、太下さんの見立てです。
1982年に日本で初めて行われた世界演劇祭「利賀フェスティバル」も見ていたという太下さん。寺山修司、太田省吾、鈴木忠志らによる刺激的なプログラムが並び、20世紀演劇史に残るような“事件”から四半世紀を数え、いま東京で行われる芸術祭には、(演劇界の外側を含めて)どのような価値が求められているのか。会場には大きな問いが投げかけられました。
アジアのなかの東京、その東京における芸術祭のフレームワーク。その大きな構造を考えるうえで、話題は徐々に芸術と社会の関係性に移っていきました。

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合理性に突き抜けようとする経済を「人間のレベル」に引き戻すための演劇の可能性。多数の参加者が作品の精度・強度をブラッシュアップしていける東京ならではの環境。ロンドン五輪時の文化政策のように、“失敗”込みでチャレンジングなプログラミングを行っていく、責任あるディレクションの必要性……。
さまざまなテーマが議論されましたが、総じて問われていたのは、作り手と(普段舞台作品を見ない人も含めた)観客が一緒に“面白い”と盛り上がり、後世に繋がっていく国際芸術祭のありようでした。
そのためにこそ、どこまで刺激的かつ、チャレンジングでいられるか――ともすれば軟着陸を目指しがちな文化政策の“現場”に対する、自他への叱咤激励が飛び交う白熱したトークセッションとなりました。

0ba the 4th night 7

テキスト:宮田文久
写真:松本和幸

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会場:丸善 池袋店